鳥の歌

2000/09/18 TCC試写室
ボリビアで政治的テーマの映画を撮り続けるウカマウ集団の新作。
インディオの村で映画撮影隊が見たものは? by K. Hattori


 中南米の国ボリビアで1960年代から政治的テーマの映画を撮り続けている「ウカマウ集団」が、1995年に完成させた現時点での最新作がこれ。ウカウマ集団はボリビアのインディオたちの中に入り込み、その中からインディオたちのための映画を作ろうとしているのだが、その中でもさまざまな意志疎通の障害や葛藤が生まれているらしい。この映画は彼らが1970年に『コンドルの血』という映画を撮影した際の経験をもとに、「インディオのため」と格好いい言葉を並べながら、じつはまったくインディオのことを理解しようとしない映画撮影隊の自己矛盾ぶりを暴き出している。ここで描かれているのはボリビアという国ならではの差別構造だが、差別されている人々を理解しようとする人間の中にある傲慢さや隠れた差別性は、世界中どこに行っても共通するものかもしれない。

 都会から来た映画の撮影隊が、山奥のインディオの村に入るところから物語が始まる。撮影隊が撮ろうとしている新作映画は、スペインによる南米の「侵略」を批判的に描いた意欲作。スペインから来た軍人や神父たちは、神の名によって血生臭い虐殺を正当化しようとした悪辣な侵略者。インディオたちは、自らの土地と文化を守ろうとした誇り高き戦士たちだ。映画の製作意図はあらかじめ村長に説明してあったのだが、村人たちは撮影に非協力的で、あてにしていたインディオ役のエキストラがまったく集まらない。最初は山奥の住人の偏屈さや警戒心だと大目に見ていた監督やプロデューサーも、映画撮影の進行に遅れが出始めると、インディオたちの頑なさに業を煮やしはじめる。やがて撮影隊とインディオたちの関係は険悪になり、ある晩、撮影隊の宿舎になっている建物をインディオたちが取り囲むという事件が起きた。

 この映画の中では、ボリビアの中にある複雑な差別構造が明らかにされる。社会の最下層にいるのは先住民の血を引くインディオたち。その上にいるのはインディオと白人の混血であるメスティソと呼ばれる人々。その上にはスペイン人の血を引く白人たちがいる。こうした差別的社会階層はさらに細分化し、メスティソの中でもインディオや白人の血の濃さや薄さに応じて、ランクの上下があるという。小さな建物の中でパニックを起こしたスタッフたちが、あっという間に疑心暗鬼に駆られ、それぞれの胸の内に秘めていた差別意識をむき出しにする場面の面白さと残酷さ。この映画ではこうしたボリビア国内の人種差別構造の中に、フランスから来た白人女性をひとり放り込む。するとボリビアの中では人種ヒエラルキーのトップにいた白人の監督が、ヨーロッパの白人に対するコンプレックスを丸出しにしてしまう。差別というものが、コンプレックスの上に成り立っているものだということが明らかになる場面だと思う。

 映画のラストシーンで、撮影隊のスタッフたちが見せる敗者のような顔つき。彼らは自分の中にあった差別意識を見せつけられ、それに打ちのめされたのだろう。

(原題:Para Recibir el Canto de los Pajaros)


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