趣味の問題

2000/09/13 TCC試写室
大富豪と彼が雇い入れた若い味見役の心理的葛藤。
『私家版』のベルナール・ラップ監督作。by K. Hattori


 テレンス・スタンプ主演の『私家版』で、復讐のために用意周到な二重三重の罠を仕掛ける男を描いたベルナール・ラップ監督の新作。有名企業のオーナー社長で大富豪のフレデリック・ドゥラモンは、レストランで給仕をしていた若い男ニコラを、自分専門の味見役として高給で雇い入れる。美食家であるフレデリックだが、すべてのレストランを自分で試して歩くわけには行かない。自分と同じ感覚を持つ味見役がいれば、わざわざつまらない場所に足を運ぶ必要もなくなるというのが表向きの理由。しかし洗練した趣味と妥協のない味覚を持った彼は、味見役にも完璧に自分と同じ趣味と味覚を持つことを要求する。フレデリックが欲しがっていたのは、単なる味見役ではない。彼は自分の分身が欲しいのだ。

 一時期「利己的遺伝子」という学説が脚光を浴びたことがある。生物の目的は自分の遺伝子を後の世代に残していくことであり、そのためにはあらゆる創意工夫をするのだという。人間を例にとっても、確かに思い当たるところは多い。現在日本の若い母親の7割か8割が女の子を欲しがるというが、それは「女性」にとって同じ「女」という性を持つ子供の方が、より自分に近いからかもしれない。親は自分を自分をモデルにして子供が育つことを望み、自分が望んで得られなかったものを、子供にかわりに手に入れて欲しいと願う。

 この映画に登場するフレデリックは、非常に自己愛の強い人間だ。彼は自分の趣味に対して妥協できない。彼が独身なのも、そんな妥協のなさゆえかもしれない。彼はニコラを高給で雇うが、そこでニコラに求めることは、ほとんど父親が息子に願うような事柄だ。(もっとも彼は、ニコラに会社を継がせようとは考えないけれど。)自分より年の若い、それでいて自分自身とぴったり趣味が一致した完璧なコピーを作り、我が喜びをコピーに伝え、コピーの喜びを我がものとしたい。フレデリックはそんな欲望に取り憑かれている。ニコラが仮にフレデリックの本当の息子だったら、ここまで過激な要求はしないだろう。子供はいずれ、親とは別の道を歩んでいくものだ。しかし金で雇った使用人なら、しかも大金で雇った使用人なら、フレデリックの望むとおりの「コピー」を演じ続けてくれるかもしれない。血を分けた親子ですらなり得ない、究極の分身の誕生だ。

 自分の分身を作りたいという願望は、結局のところ「自己愛」なのだ。監督はこの映画の原点に、水に映る自分自身の姿に恋したナルシスの神話があると言っている。完璧な自己愛を満たしてくれる対象が目の前に現れたとき、人はどうなるのか。そこには恐怖が生まれる。自分自身に対する愛情と共に、自分自身に対する憎しみも相手に投影される。自己嫌悪や自己憎悪の対象が、具体的な姿を持って目の前を歩き回る。

 心理的な葛藤の果てに、この物語は悲劇を迎える。しかしその悲劇は、最初からある程度予測できたはずなのだ。それが見えなくなるところに、人間の愚かさがある。

(原題:UNE AFFAIRE DE GOUT)


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