サイレンス

2000/09/08 メディアボックス試写室
モフセン・マフマルバフ監督がタジキスタンで撮った新作。
盲目の少年を主人公にしたファンタジー。by K. Hattori


 『パンと植木鉢』『ギャベ』『サイクリスト』など作品が次々日本で公開されているイラン映画の巨匠、モフセン・マフマルバフ監督の最新作。マフマルバフ監督は最近イラン国内で映画を撮りにくい状況になっているといい、この映画もすべてタジキスタンで撮影されている。盲目の少年と周囲の人々の交流を描いた映画だが、この映画はイランの検閲にひっかかって一部シーンのカットを命じられ、それに抗議する監督は現在イラン国内での映画上映を差し止めているという。チラシには『この作品は、かつてイラン映画に例を見ない衝撃的なシーンの連続が物議をかもし、いまだ上映禁止となっている』と解説されているが、実際に検閲に引っかかったのは楽器工房の中で少女が踊る(音楽に合わせて体を動かす)という何でもない場面だったらしい。イランでは音楽に合わせて踊るという行為すら、『欧米的な資本主義、商業主義を徹底的に排除するための検閲(監督談)』だと解釈されてしまうというのだ。最近大きな注目を集めているイラン映画だが、こうした検閲体制の中からどれだけ面白い作品が生み出されるのかは謎だと思う。きちんと検閲コードが明確になっているならまだしも、昨日と今日とで検閲の基準が違うといった場当たり的検閲をしていては、映画作家の表現活動は萎縮してしまうだろう。

 『サイレンス』は素晴らしい映画だ。映画は盲目の少年コルシッドが目覚めるところから始まる。耳に飛び込んでくるさまざまな音、さまざまな声。それが画面の中で次々に視覚化される。手で触れたものの感触、空気の質感。そうしたものが、画面の中で次々にクローズアップされる。映画導入部のこの演出は非常に官能的。道の脇にずらりと並んだパン売りの女たち、果物売りの女たちの中から、少年は知り合いの少女を見つける。そっと少女の顔に手を触れ、彼女の名を言い当てる少年。この場面はエロチックでドキドキしてしまう。(でもここが検閲に引っかかったわけではないという。)

 主人公のコルシッド少年は楽器工房で調律の仕事をしているが、しばしば職場に遅刻して親方から大目玉を食う。コルシッドは音に敏感で、町を歩いているときやバスの中で気になる音を見つけると、その後を追跡せずにはいられない性格なのだ。知り合いの少女は、コルシッドに「バスの中では耳をふさいでいろ」と言うのだが、好奇心旺盛なコルシッドにそんなことができるはずはない。結果として、毎日のように遅刻が続く。父親はロシアに出稼ぎに行ったまま帰らない。大家に家賃を催促されている母親はコルシッドに給料の前借りを頼むのだが、遅刻続きの彼はクビになる寸前で、とても前借りなど頼めない。このままでは部屋を追い出されてしまう。

 主人公の家のドアを大家が叩く音が、ベートーベンの交響曲「運命」の出だしと重ね合わされ、映画のクライマックスはコルシッドの指揮による大シンフォニーに発展する。リアリズムを余裕綽々で乗り越えて行く、マフマルバフ映画の真髄がここにある。

(原題:le silence)


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