深紅の愛
DEEP CRIMSON

2000/09/08 TCC試写室
中年看護婦と結婚詐欺師の殺人行脚を描く異色の恋愛映画。
『ハネムーン・キラーズ』のメキシコ版リメイク。by K. Hattori


 アメリカで実際に起きた連続殺人事件を映画化した『ハネムーン・キラーズ』を、舞台をメキシコに変えて再映画化したもの。ひょっとしたら同じ事件や原作を翻案したものかもしれないが、物語の流れはほぼ正確に『ハネムーン・キラーズ』をなぞっている。太ったオールドミスのヒロインは、雑誌の文通欄で知り合ったハンサムな男に恋をする。だが彼はけちな結婚詐欺師。ヒロインはそれを知ってもなおかつ、彼を愛し続けようとする。ふたりはコンビで結婚詐欺旅行を続け、行く先々で殺人を犯して行く。『ハネムーン・キラーズ』との違いは、ヒロインをやもめの子持ち女にしたこと。彼女は男について行くため、ふたりの子供を捨てる。これによって、ヒロインは後戻りのできない場所に追い込まれるのだ。『ハネムーン・キラーズ』では、中年になるまで操を守ってきたヒロインが男に処女を捧げるという設定だったけど、それを「子捨て」という行為に置き換えたのは面白い。この子捨てが、最後の犯罪への伏線になる。

 大きな負い目を持った男と女が、その負い目ゆえに相手に依存して行く話です。女は自分が年増のデブで、しかも子供を捨てたということが負い目になっている。男の側は自分のカツラが負い目になっている。しかし男は女の子捨てを「そこまで俺のことを愛してくれているのか!」と受け入れ、女は男のカツラを修理するため自分の髪を切ることで彼との絆を深める。あ、今書いていて気づいたけど、これって両方とも彼女が男に対して注ぐ愛情のエピソードではないか。対して男の側が女に注ぐ愛情は、この映画の中にほとんど登場しない。これはダメ男に惚れたヒロインが主人公で、男の側は脇役に徹したメロドラマなのだ。そのあたりが演出の面で徹底できていないところが、この映画の弱さになっているのかもしれない。ヒロインに感情移入しはじめると、さっと視点が男の側に切り替わってしまうようなところがある。

 『ハネムーン・キラーズ』との最大の違いは、最後の殺人のくだり。ふたつの映画で、男女の役割が完全に入れ替わっているのは意図的なものだろう。ここで物語の主導権は男の側に渡る。警察署でのカツラをめぐるやり取りは泣かせる。『ハネムーン・キラーズ』では逮捕後離ればなれになってしまったカップルだが、この映画では最後まで添い遂げさせる。このあたり、作り手の『ハネムーン・キラーズ』への対抗意識がむき出しです。

 ヒロインの子捨てというトラウマが映画の中盤でまったく忘れ去られてしまうとか、男の偏頭痛があまり物語の中で生かされていないとか、最後の事件で「最後の一線を越えた」「もうこれ以上先に進めない」という完全な行き止まり感があまりないとか、映画の欠点を具体的に幾つも列記することはできる。しかしそんな欠点以上に、美術の細部の作り込みが素晴らしいとか、主演ふたりの存在感がリアルとか、誉めたくなるところがたくさんある映画です。そして何よりも、ラストシーンのヒロインの台詞。土壇場での愛の言葉に、僕は泣けてきた。

(原題:Profundo Carmesi)


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