本日またまた休診なり

2000/08/30 メディアボックス試写室
山城新伍が医者だった父をモチーフに終戦直後の日本を描く。
真面目に丁寧に作った映画。好印象。by K. Hattori


 山城新伍のエッセイ「現代河原乞食考」を野上龍雄が脚色し、原作者の山城新伍自身が監督・主演した作品。原作は山城新伍の自伝的内容だが、映画はそこから医者だった父親のエピソードを抜き出し、「医は仁術」を地で行った貧しい町医者の魅力的な人間像と、その周辺の雑多な人間模様を描き出している。映画の舞台は京都の裏町。時代は昭和20年から28年頃。夕暮れ時の遠い空にB29の編隊が飛び、地平線の先では大阪や神戸の焼ける炎が薄ぼんやりと赤く見える終戦間際から始まり、やがて戦後の混乱した、それでいて活力のあった時代を経て、戦後の混乱が落ち着いて日本が成長期の入口に差し掛かろうとする時代までを描く。

 この映画には悪人が登場しない。主人公の町医者・山辺寿一郎はじめ、登場人物たちは日々の生活を精一杯生きようとする善良な市民ばかりだ。借金取りなど憎まれ役も登場するが、それも何かあれば泡食って逃げ出すような気の小さい連中ばかり。山辺医院はきわめて平等で理想的な空間として理想化されており、そこには治療費もろくに払えないような貧乏人、芸娼妓、ヤクザの親分、有名スターなどが次々訪れる。そして主人公は、彼らに対して上下貧富の隔たりなく平等に接するのだ。この映画が特に強調しているのは、戦後日本にごく日常的に存在した「貧しさ」や「差別」の問題だろう。同じ貧しさを共有し互いに共感する中で、日本人も朝鮮人も一体になれる。朝鮮人老婆を大学病院に送る場面や、朝鮮人一家の花見の場面などが印象に残る。

 この映画の中では、主人公の山辺医師がきわめてリベラルで物わかりのいい人物として描かれているが、その下にあるのはやはり社会全体が内包している貧しさと差別なのだ。世の中に貧しさも差別もなければ、リベラリストなど存在する意味がない。もちろん山辺は自分をリベラリストだなどとは考えておらず、目の前にあるどうしようもない人間の不平等に対する怒りと同情が、彼の行動を支えているのだろう。「人間は生まれながらに平等」と言う息子をぶん殴り、「人間はそもそも生まれながらに不平等なもんや。だから平等になろうと努力するんや」と怒りを露わにする主人公。本人たちの努力ではどうしようもない貧しさや差別を目の当たりにしてきた主人公にとって、「人間は平等」という空証文ほどたちの悪い冗談はない。生まれながらの貧乏人がいて、生まれながらの金持ちがいる。頭のいいのと悪いのがいる。美人に生まれた女と、そうでない女がいる。そんないろんな人間がいるから、世の中には辛いことがいっぱいあるかわりに、面白いこともいっぱいある。

 戦後の風景や風俗をセットや衣装で再現しており、これは結構お金のかかった映画です。芝居の段取りなどはことさら上手いとも思わないのですが、奇をてらうことのない真面目で正攻法の演出は好感が持てる。出演者も豪華。特に今回は小島聖演じる看護婦がいい。家の中に他人である彼女がひとりいるというのがポイントです。


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