マイケル・ジョーダン・トゥ・ザ・マックス

2000/08/22 東京アイマックス・シアター
マイケル・ジョーダン最後のプレイオフをアイマックスの大画面で堪能。
試合を目の前で観ているような臨場感に興奮。by K. Hattori


 NBAのスーパースターで今やアメリカが生んだスーパースターと呼んでもいいマイケル・ジョーダンのプレイを、アイマックスの巨大スクリーンで堪能できるドキュメンタリー映画。ジョーダンの最後のプレイとなった'98年のプレイオフを中心に、彼の生い立ちや家族との関係、バスケットボールとの関わりや人生観などを盛り込んだ充実した内容。この映画は1ヶ月前に英語版も観ているのだが、今回の日本語吹替版では細かい部分まで内容がよくわかり、全体の構成のうまさにも感心した。

 前回はマイケル・ジョーダンの華麗なプレイにばかり目が行っていたのですが、今回の日本語吹替版を観ると、'98年のプレイオフがジョーダンやシカゴ・ブルズにとっていかに過酷なものであったのかがよくわかる。その過酷な戦いを、ジョーダンとブルズはいかに戦い、いかにチャンピオンの栄冠を勝ち取ったか。最後のジャズとの戦いは、まるでスポーツ映画を観ているようだった。追い込まれて追い込まれて、最後の最後に大逆転。こんなお話、ハリウッドの脚本家が書いたら「出来過ぎで白々しい」と言われてしまいそうなくらいです。でもジョーダンは、見事にそれを成し遂げてしまった。

 映画は試合の合間に、関係者やジャーナリストのコメントや、ジョーダン本人のインタビューを挿入しながら進行していく。これが映画のアクセントになっているし、映画の進行と共にジョーダンの人間的な魅力について少しずつ肉付けされ、最後は彼が最高の英雄に見えるという仕掛けになっている。どのインタビューをどのタイミングでどこに挿入するかというのが、こうしたドキュメンタリー作品での腕の見せ所だが、この映画はそうした点でもまずまずうまく行っていると思う。もっともそれも、すべては試合内容が素晴らしいからこそ結果オーライになっている部分もあるんだけどね。これでブルズが優勝できなかったら、この映画はまったく違った印象を持たせるものになっていたと思う。

 前回はナレーションを追うことを諦め、ひたすら映像ばかりを観ていたので気づかなかったが、映像とナレーションを一緒に観ると、ジョーダンの神懸かりのようなプレイのひとつひとつにまた別の意味が加わり、映画の楽しみが一段と増すように思う。映画で引用されている個々のプレイは、長い試合の中のごくごく一部分だ。そのプレイがどんな場面で生み出され、どんな意味を持つものだったのかという的確な説明なしには、スーパープレイも単なる「好プレイ珍プレイ集」になってしまう。この映画ではナレーションで試合の展開を簡潔に説明し、そこで飛び出したジョーダンのプレイの素晴らしさを、わかりやすく観客に説明してくれている。

 アイマックスの高密度な大画面が生み出す臨場感は、まるでバスケットコートのすぐ近くで試合を観ているような迫力を生みだしている。しかも目にも留まらぬトリッキーなプレイを、スローモーションで見せてくれるのだからサービス満点。観ていると何度も血が騒ぐ。

(原題:MICHAEL JORDAN TO THE MAX)


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