デトロイト・ロック・シティ

2000/08/22 GAGA試写室
KISSのコンサートを見るため高校生たちが大冒険。
コンサートシーンは大感激だ。by K. Hattori


 その昔、ロックを聴くのは不良少年だった。今では学校の音楽の教科書でバッハやモーツァルトと並んで教材になっているビートルズでさえ、現役時代の1960年代後半には大人たちから「騒音」と言われたのだ。それから10年後、イギリスではセックス・ピストルズがパンクロックののろしを上げ、アメリカではKISSがド派手なメイクと演出された舞台効果で観客を熱狂させ、ようやくビートルズのメロディに慣れ始めていた大人たちに「やはりロックは騒音で、そんなものを聴くのは不良に決まっている」と確信させるに至った。ピストルズもKISSも、悪魔主義の烙印を押されている。ロックのけたたましい騒音は子供たちから思考力を奪い、毒々しい歌詞は子供たちのモラルを破壊し洗脳するのだという。そんな馬鹿な。でも当時の大人の一部は、大まじめにそう考えていた。「そういえば小学生や中学生の頃、校内放送ではロックをかけるのが禁止されてたなぁ」と思い出す30代も多いのではないだろうか。今では考えられない、遠い遠い昔の話だ。

 この映画の舞台は1978年のクリーブランド。ホーク、レックス、ジャム、トリップの4人組は、世間のディスコブームに背を向けてKISS一筋。入手困難なコンサートチケットを手に入れた彼らは、3日後には本物のKISSが観られると胸を躍らせている。ところがコンサートの前日になって、KISSを悪魔だと本気で信じているジャムの母親はチケットを取り上げ、4人の目の前であっと言う間に灰にしてしまう。ひどく落胆する4人だったが、当然これは、そこで終わる映画じゃない。チケットを失った4人が、どうやってコンサートを観ることに成功するか? 車でデトロイトにやってきた4人が、ありとあらゆる手だてを通じてチケット入手に奔走する冒険談こそがこの映画の中心。ただのロック小僧だった主人公たちは、この一晩の出来事を通じて少年から大人へと成長して行く。そして最後の最後に用意されているのが、本物のKISSが出演したコンサート場面。それまでずっと「KISSが見たい!」という情熱に突き動かされてきた主人公たちを見守ってきた観客が、このラストシーンでは主人公たちと一生に熱狂することは間違いない。僕は特にKISSのファンじゃないけど、この場面では全身が震え出すぐらい興奮した。

 監督は『マウス・ハント』や『スモール・ソルジャーズ』の脚本を書いたアダム・リフキン。主人公4人の中では『T2』のエドワード・ファーロングが有名だが、彼が中心に物語が動くわけではなく、主人公はこの4人全員だ。その中でも中心になっているのは、、鬼ママに目の敵にされる金髪ボーイ、ジャムを演じたサム・ハンティントンだろう。映画はこの鬼ママが偶然息子の持っていたKISSのレコードを聴いてしまうところから始まるし、ジャムというキャラクターには、ロックを介した親との世代対立、初恋と初体験、親からの自立など、この映画のすべてのエッセンスが詰まっている。

(原題:DETROIT ROCK CITY)


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