キッド

2000/08/18 ブエナビスタ試写室
ブルース・ウィリス演じる主人公が、30数年前の自分自身に出会う。
子供時代の夢を実現できなかった大人のための映画。by K. Hattori


 イメージ・コンサルタントとして各界VIPを顧客に持つラス・デューリッツの暮らしは、いつも分刻みのスケジュールに縛られている。だが仕事は順風満帆。業績は右肩上がりで、ラスは高級車を乗り回し、秘書にあれこれと無理難題を指図し、広い家でのんびり気ままな一人暮らしだ。だが間もなく40歳の誕生日を迎えるという日、彼の前にひとりの少年が現れたことから、ラスの生活と人生は一変する。どこかで見たことのある少年の名前はラスティ・デューリッツ。間もなく8歳になるというこの少年こそ、ラスの30数年前の姿だった。ラスティ少年は目の前にいるのが未来の自分だと知って興奮するが、彼がパイロットでもなく、妻も恋人もおらず、犬も飼っていないことを知って大ショック。自分の将来の夢は、30年間の内にどこに消えてしまったんだろう。一方ラスは、やや肥満気味のラスティにダイエットを勧めるなど、イメージ・コンサルタントとして少年時代の自分を改造しようとするのだが……。

 社会的には成長しながら、じつは人生に踏み迷っている大人が少年時代の自分に出会い、自分自身の新しい人生を発見するという物語。この手の映画はいくつもあって、例えば『ニューシネマ・パラダイス』も同じような趣向だ。普通は大人が過去を回想する形を取るのだが、この『キッド』では、過去から来た自分自身が主人公に人生を考え直させるきっかけを与えるのだ。性格の悪い大人に成長したラスを演じているのは、『シックス・センス』でも子役相手に好演したブルース・ウィリス。ラスティ少年を演じるのは、これが映画デビュー作のスペンサー・ブレスリン。監督は『クールランニング』や『あなたが寝てる間に…』のジョン・タートルトープ。脚本は『好きと言えなくて』のオードリー・ウェルズ。この映画が面白いのは、ラスの目の前に現れた少年時代の自分が、彼にしか見えない幻のイメージではなく、部下や顧客など周囲の人にも紛れもなく実態として見えているところだろう。と同時にこの映画の中には、幻のダイナーや赤い飛行機のような、幻めいたイメージも登場して、観客の現実感覚や時空感覚をかき乱す。

 『幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた』と述べたのは聖パウロだが、この言葉はいついかなる時代の人間にも当てはまる。成人したラスは、自分が子供の頃に持っていた自分の夢を思い出せない。自分が子供の頃に何に喜び、何に悲しみ、何を望んだのかがわからない。彼は自分で自分自身の子供時代を封印してしまったのだ。自分の子供時代を真っ直ぐ正面から見つめるのは、結構辛い作業だったりする。ラスは少年ラスティを見ていて、歯がゆくて仕方がない。こうした気持ちも、人間なら誰しも持つものだろう。

 ファンタジー映画としてよくできているし、作品の持つメッセージも明快。ディズニー映画ですが、これは昔子供だったすべての大人に向けられた映画です。

(原題:THE KID)


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