三文役者

2000/08/02 メディアボックス試写室
脇役として知られた殿山泰司の人生を新藤兼人が映画化。
監督は今年88歳。それでこの若々しさ! by K. Hattori


 名脇役・殿山泰司の破天荒な人生を、近代映画協会の仲間であり、数々の映画で一緒に仕事をした新藤兼人が映画化した作品。主人公の“タイちゃん”こと殿山泰司を演じているのは竹中直人。映画は主人公タイちゃんと、彼の愛人キミエの関係を軸に、役者として売り出し中の30代半ば(昭和26年頃)から平成1年に73歳で死ぬまでをほぼ時系列に描いていく。映画の中には本人が出演した数々の映画が引用され、その撮影現場もそっくり再現されているので、映画ファンにとっては映画撮影の舞台裏を覗き見するような面白さがある。この映画には、新藤兼人監督が本人役で出演。さらに新藤兼人夫人であり、殿山泰司とも数々の映画で共演した“オカジ”こと乙羽信子が出演していることにも驚かされる。映画の中で彼女は自分自身を演じ、劇中のタイちゃんに向かって「あの時はこうだった」「私はこう思っていた」などとコメントする。乙羽信子が亡くなったのは平成6年12月。この映画はそれより前に企画され、彼女の出演部分だけは先に撮影されていたのだ。

 昭和20年代半ばから平成の現代までを描いている映画なのに、主人公を演じる竹中直人にも、愛人(実質的な内妻)を演じた荻野目慶子にも大げさな老けメイクをさせず、最初に登場したままの若々しさで70代や50代まで演じさせている。また時代背景や風俗についての描写もまったく無頓着で、時代がいつであろうと町の風景は同じだし道行く人のファッションも変わらない。これを重大な手抜きのように考える人がいるかもしれないが、じつはそうではない。こうした「時代色無視」「時間経過無視」というのが、おそらくはこの映画の狙いなのだ。人間の肉体は年と共に老いて行く。だが肉体は老いても心は老いない。肉体が40歳や50歳になっても、心が20代の青年なら、その人には自分自身が20代の青年のように見えている。この映画の中の老け描写は、そうした人間たちの主観的な目を正確に再現しているのだと思う。監督の新藤兼人にとって、俳優の殿山泰司は一緒に仕事をし始めた30代の頃と少しも変わらないのだ。主人公のタイちゃんにとって愛人のキミエは、出会った頃の17歳のままなのだ。せいぜいが「最近少し髪の毛に白いものがあるるね」ぐらいのもの。

 この映画は徹底的に時間経過を無視する。だから40年も前の撮影シーンに、現代の新藤兼人監督が本人役で出演してもおかしくない。10年以上前の映画の撮影シーンに、現代の堀川弘通監督本人が出演しても構わない。そうした手法の究極が、故人である乙羽信子の出演なんだと思う。人は心の中で自由自在に時間の中を駆けめぐる。そこには死んだ人も生きている人も関係がない。最後に新藤監督が自ら述べているように、死んだ人は生きている人たちの中からほんの少し姿を消しただけなのです。まったく存在がゼロになったわけではない。『午後の遺言状』や『生きたい』で老いを追求した新藤監督は、この映画で「老い」や「死」を超越しました。


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