椿三十郎

2000/07/22 フィルムセンター
主人公・椿三十郎と敵役・室戸半兵衛は同性愛だった?
寝ぼけた頭で思いついた名作の新事実。by K. Hattori


 黒澤明は生涯に30本の作品を撮っているが、この映画はその中でもナンバーワンの映画と言っていい傑作。巧みな筋運びと名台詞に彩られたまったく無駄のない脚本、俳優たちの演技、美術や撮影技術など、どれを取っても一級品。黒澤ファンの中では前作『用心棒』と比較してどちらが好きかという議論がよく起きるが、僕は断然『椿三十郎』を支持する。スクリーンで既に何度も観ている映画だが、そのたびにハラハラドキドキし、新たな発見のある映画です。今回もいろいろ発見がありましたが、今回はどういうわけか、この映画から濃厚なホモセクシャルの匂いを感じて驚いてしまいました。なぜだろう。寝不足で頭がボンヤリしているときに観たから、感覚がいつもと違っていたんだろうか……。

 この映画は主人公の椿三十郎がある小藩のお家騒動を解決する話ですが、そこで中心軸になるのが敵役・室戸半兵衛との対決です。僕はそこに描かれている室戸と三十郎の関係に、男同士の同性愛的な結びつきを見る。特に室戸の三十郎に対する視線には、否定しがたい同性愛感情が読みとれるのだ。森の中の神社境内での初めて三十郎に出会ったとき即座に彼の力量を見抜き、「俺の名は室戸半兵衛」とぶっきらぼうに名乗って彼に背を向けるクールさの裏側に、一目惚れした相手を目の前にしてドギマギしている男の純情が見える。数日後、菊井の役宅を訪ねた三十郎を一目見つけるや、パッと顔を輝かせる室戸の表情には、恋する人に再会できた喜びが見える。役宅内で三十郎と酒を酌み交わしながら、室戸の顔に笑みが浮かんでしまうのは、単に悪巧みの相棒を見つけたという以上の物があるはず。彼は生涯で唯一無二とも思える、理想のパートナーに出会ったのです。室戸が三十郎に惚れていたとすれば、三十郎に裏切られたと感じた室戸がなぜ命がけの決闘を挑んだのかもよくわかる。彼は惚れた男と離ればなれになることができない。でも一緒にいることも不可能。であれば、自分が相手を殺すか、自分が相手を殺されるかが本望なのです。「貴様みたいにひどい奴はない」とか「このままじゃ俺の気がおさまらん」という室戸の台詞や、「俺が斬られてもこいつらを斬るなよ」と若侍たちを気遣う三十郎に黙って肯く室戸の姿には、恋に殉じる男の悲壮美が漂います。

 今まで何度かこの映画を観ていて、室戸ほどの切れ者がなぜああもやすやすと三十郎の策略にはまってしまうのか疑問だったのですが、室戸の三十郎に対する恋慕という要素を加味して解釈すると、すべてがきれいに整理されてしまう。すべては室戸の「惚れた弱み」なのです。演じている仲代達矢や三船敏郎がどう感じていたかは不明ですが、少なくとも脚本を書いて演出した黒澤明には、こうした男同士の感情の機微がわかっていたはず。巷には黒澤明の同性愛者説などもあるようですが、少なくとも黒澤監督に“そのケ”があったことは事実だと思います。それは『椿三十郎』の室戸半兵衛を観るだけでも、十分にわかります。三十郎にもそのケがありそうですが。


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