倦怠

2000/07/14 メディアボックス試写室
何の取り柄もない少女の肉体に溺れていく男の心理。
気持ちはわかるが、もう少しヒネリがほしい。by K. Hattori


 1960年に発表されたアルベルト・モラヴィアの同名小説は、'63年にカトリーヌ・スパーク主演で『禁じられた抱擁』という映画になっているらしい。今回の映画はその再映画化。半年前に妻と別居し、仕事の面でも行き詰まりを感じていた哲学教授マルタンは、たまたま知り合った少女セシリアと肉体関係を持つようになる。彼女は老画家のもとで2年間もモデル兼愛人としての生活していたが、画家は彼女とセックスしている最中に心臓発作を起こして死んでしまったという。老画家をそれほど夢中にさせた少女の肉体を、半ば好奇心から味わってみたマルタンだったが、そこには特別甘美なものがあるわけでもない。彼はセシリアと別れようとするのだが、そんな決意の出鼻をくじくように、セシリアが約束の時間に現れなくなる。彼女には他にも恋人がいるのではないか? そんな疑念を持ったマルタンは、別れようとしていたセシリアに少しずつのめり込んでいく。

 監督はこれが長編3作目のセドリック・カーン。主人公マルタンを演じるのは『ラヴetc.』『ドライ・クリーニング』のシャルル・ベルリング。セシリア役のソフィー・ギルマンは撮影当時20歳の新人女優。物語は基本的に、このふたりの関係だけを描いていく。セシリアの若い恋人や両親なども登場するが、これらは物語に彩りを添える点景人物だと思う。脇の人物で例外的に物語に深く関わってくるのは、マルタンの元妻(別居中の妻)ソフィだ。マルタンはセシリアとの情交の一部始終をソフィに逐次報告し、そのアドバイスを受けようとしたり、慰めをかけてもらいたがったりする。この映画は嫉妬によって相手の女にのめり込んでいく男を描いているわけだが、そもそもこの関係が生まれたのは、マルタンが元妻を嫉妬させるためだったようにも思える。結局、マルタンの狂乱はすべてソフィへの当てつけなのかも。

 セシリアという少女は、およそ知性も分別も持ち合わせない、若くてバカな女として描かれている。取り立てて美人ではない。グラマーと言うより太めと表現した方がいいムッチリした体つき。セックスに対しては積極的だが、いついかなる場所でも男の欲望を受け入れる、淫らすれすれの奔放さを持っている。会話からはまったく知性が感じられず、話す内容は自分のことばかり。複数の男と関係を持っても平気で嘘を付いて取り繕い、それが誤魔化しきれなくなると「ふたりとも愛してる」と言って恥じない虫のよさ。こんな女に惚れたら不幸だし、そもそも最初からこんな女だとわかっていたら惚れないだろう……と考えるのは大甘。マルタンはセシリアに人間としての魅力を感じるか。答えは当然否。ではマルタンは、セシリアとのセックスに満足しているのか。答えはおそらく否。マルタンはセシリアとの関係に、満たされることがないのだ。満たされないからこそ、そこに渇望が生まれ、関係が泥沼化するという逆説。

 セックスシーンが多いためR-18の指定を受けているが、ロマンスのないセックスには興奮しないなぁ。

(原題:L'ENNUI)


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