風を見た少年

2000/06/29 ブエナビスタ試写室
C・W・ニコル原作の冒険ファンタジー・アニメーション映画。
かなり宮崎駿に影響されてます。脚本がダメ。by K. Hattori


 ブエナビスタ配給のアニメ映画だが、ディズニー作品ではない。これはC・W・ニコルの同名小説をアニメ化したファンタジー作品で、総監督の大森一樹以下、すべて日本人スタッフによる日本映画です。主題歌「神様と仲なおり」を再結成したREBECCAが歌っているのが話題だが、エンタイトルに流れる肝心の曲はNOKKOのボーカルにパンチがなくて少々期待はずれ。映画の中身も中途半端な宮崎アニメみたいでした。宮崎駿の影響はハリウッド映画ですら受けているのだから、日本のアニメ作品で、しかも主人公が空を飛ぶ少年となれば、影響を受けるなと言うほうが無理。だから巨大な飛行船のような空中軍艦が登場しようと構わない。しかしこの映画は、そうしたデザイン面以前にいろいろと問題です。

 この映画で気になるのは、善玉悪玉をきれいに塗り分けた子供向けの物語にするか、人物の性格や役回りを二重三重にした大人向けの物語にするか、はっきりと決めかねたままの映画を作ってしまったことでしょう。宮崎アニメはこのあたり、主役と敵役は善玉と悪玉を明快にし、その周辺に比較的複雑なキャラクターを配置することで物語にふくらみを持たせていることが多い。ところがこの『風を見た少年』では、最後の最後になって敵役が幼い頃に心に受けた傷を観客に説明したりする。主人公も敵の甘言にやすやすと乗せられて、うかうかと敵に協力してしまったりする。敵方の女性科学者も、悪党なのかただ弱い人間なのかが不明確。これだけの規模の映画では登場できる人間の数など限られているのだから、それぞれのポジションに応じた人物の典型を登場させないと、すべての人物像が輪郭曖昧になってしまう。

 この映画で一番気になったのは、主人公アモンの行動原理が非常に不明確なこと。動物と話し、不思議なパワーを秘めた光の玉を自在に操る能力を持つアモンは、科学者である両親を謎の男たちに殺される。父の助手をしていたルチアに保護されたアモンは、黄金龍帝国の空中軍艦から逃れ、森の精のようなウルスから自分が「風の民」の末裔であることを知らされる。そこを飛び立ったアモンは再び墜落し、今度は海の民であるモニカとマリアの母娘に助けられる。だがその村が黄金龍帝国に攻撃され、アモンとマリアは黄金龍帝国に反旗をひるがえすレジスタンスたちと合流する……。1時間37分しかない映画なのに、アモンが空から落下する場面が序盤に2回も出てくるし、2回とも親切な動物や人々に助けられる。映画の後半はアモンと独裁者ブラニックの対決が物語の中心になるのだが、中盤まではこの対立軸が鮮明にならず、アモンは気まぐれに空を飛び、ブラニックは腹立ち紛れにたまたま目の前にある村を焼き払うという行き当たりばったりの展開。こうしたちぐはぐさは、脚本を書く段階できちんと整理してほしい。

 僕には結局、この映画が何を言いたいのかよくわからなかった。物語の最初と最後がきちんとループしないのも気になる。やはり問題は脚本だろうか。


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