カノン

2000/06/13 メディアボックス試写室
父娘相関をテーマとした問題作『カルネ』の続編。
監督は『カルネ』と同じギャスパー・ノエ。by K. Hattori


 馬肉を売る男(フランスでは肉の種類ごとに専門店化しているらしい)が娘に対して持つ近親相姦幻想と、その先にある歪んだ殺意とアクシデントを描いた映画『カルネ』の続編。娘がレイプされたと思いこんで逆上し、偶然出くわしたホームレスを刺した肉屋の男が主人公。彼は家と店を手放して保釈金を払い、愛人の女と共にパリを離れた。娘は施設にいる。だが妊娠した愛人は男に馬肉屋を開かせるという約束を無視して、自分の食い扶持ぐらいは自分で稼げと言い出した。愛人とその母親のいる部屋は、男にとって非常に居心地の悪い場所になる。ある日愛人を殴って部屋を飛び出した男は、そのままパリに舞い戻る。所持金はたったの300フラン。友人を頼って仕事を探せば、自分ひとりの暮らしぐらいは何とでもなる。安ホテルを根城に、パリで新たな生活をスタートさせようとした男だったが……。

 前作『カルネ』の延長上にある作品だが、『カルネ』が40分の短編(中編)映画だったのに対し、今回は1時間33分の大長編。映画の最初から最後までびっしりと男のモノローグで埋め尽くされ、異様な効果音と共に急激にカメラが対象に迫る映像のショックと、近親相姦や殺人といった生理的嫌悪を誘うモチーフ、やけに高圧的な断片的警句などで観客をきりきり舞させる。僕は『カルネ』を観てそこにユーモアを感じたんだけど、今回はユーモアが入り込む余地がないほど、映画の中には不穏な空気が満ちている。表面上はごく穏やかに見える男が、その内面に押し込めているドロドロとした気持ち。それをすべてあからさまにしてしまう醜悪さ。

 男は何もできないダメ男なのに、自分が何者かであることを疑っていない。「現実の自分」と「本来あり得べき自分」とのギャップが大きくなればなるほど、男の中の周囲への怒りは大きくなる。自分は悪くないのに社会から不当に疎外されているという被害者意識が、社会に対する怒りになる。怒りが次の怒りをかき立てて、男はやがて全世界を敵に回すようになる。捨てられないのは自分の中の小さな自尊心。その自尊心が社会への憎しみと化学反応を起こして、自分自身に対する万能感を生み出す。肥大しきった自意識と、周囲の世界に対する軽蔑と嫌悪感。何の努力もせずに手に入れた凶器……。男が追い込まれていく心理状態は、おそらく九州のバスジャック少年と大差ないものでしょう。

 この映画が面白いのは、そうした個人の内面ドラマを、スタイリッシュな映像表現の中に封じ込めているからだと思う。悲惨でグロテスクで血生臭い話なのに、映画から受ける印象はサッパリしている。標本箱の中でカラカラに乾ききった昆虫標本のように、非常にリアルでありながら生々しさを感じさせない質感がある。ラストシーンをどう解釈するかで賛否が別れるかもしれないけれど、この結末は『カルネ』を出発点とした男の妄想と父娘関係の終着点としては、まず妥当なところなんじゃないだろうか。モラルとは無縁のハッピーエンドです。

(原題:SEUL CONTRE TOUS)


ホームページ
ホームページへ