あんにょんキムチ

2000/06/13 シネカノン試写室
在日3世の映画監督が自分のルーツを探るドキュメンタリー映画。
日本人に同化して生きる韓国系一家の物語。by K. Hattori


 在日韓国人の血を引く青年が、デジカム片手に自分の家族のルーツを探そうとするドキュメンタリー映画。監督の松江哲明は、祖父母が韓国から日本に渡ってきた在日3世。祖父母は韓国人、両親も在日で、体の中に流れている血は100%韓国人。でも監督は日本で生まれ育ち、日本の学校に通って日本人同様に暮らしている。日本語しか喋れず、韓国語はチンプンカンプン。韓国系の家庭では食卓にキムチが付き物なのだが、監督はこれがまったく受け入れられず、口に入れると吐き出してしまう。しかも両親が家族共々日本に帰化したため、5歳の時から国籍上も正真正銘の「日本人」になっている。そんな彼には、ひとつの負い目がある。14歳の時に祖父が死んだのだが、自分は眠くてその臨終の場に立ち会わなかった。祖父は最後に「哲明のバカヤロー」と言って死んだという。映画監督を目指して日本映画学校に入学した彼は、卒業制作として祖父の物語を撮ろうと決意する。それは自分に向かって「バカヤロー」と言って死んだ祖父に対する贖罪であり、同時に韓国人の血と日本の国籍を持つ自分自身のアイデンティティ探しなのだ。

 監督であり同時にこのドキュメンタリー映画の主人公でもある松江哲明が、突然自らの民族性に目覚めてしまう様子は、観ていてどこか滑稽であり、同時にちょっと切なくなる。彼は自分の中に流れている「血」と、自分自身が置かれている生活習慣や国籍の間で引き裂かれ、自分が何者なのかを必死で探ろうとする。その時彼が注目したのが、十代半ばで韓国から日本に渡ってきて、必死に日本に同化しようとした祖父のことだった。劉忠植という韓国名を捨てて、松江勇吉という日本名を名乗り続けた祖父は、生前に作った墓にも誇らしげに「松江」という姓を彫った。日本風に家紋まで作ってしまった。韓国から連れてきた妻にも和服を着せ、町内会などでも日本人たちから慕われていた祖父。娘たちも日本語で育て、家の中で韓国語を使わなかった祖父。それほど日本に同化しようとしたのに、自分の娘たちが日本人と結婚することを決して許そうとしなかった。葬式を「松江勇吉」の名前であげたのに、火葬場では「劉忠植」として焼かれてしまった……。そんな祖父の姿を通して、松江監督は「民族」や「血」や「国籍」について考える。

 この映画の中で感動的なのは、松江監督が自分たちの家族が持つ「松江」という姓の由来を、韓国まで出かけて突き止める部分だと思う。祖父は「松江」という日本式の名字を通じて、故郷の親戚たちとつながっていたという事実に、監督は衝撃を受ける。「松江」という姓は単なる日本名ではなく、それによって祖父は韓国人としてのルーツを主張していたのだ。

 当たり前の話だが、日本に帰化したからといって松江家の中からキムチが消えるわけでもなく、韓国風の正月行事もなくならない。「在日韓国人」ではなく「韓国系日本人」として、民族的なアイデンティティをこれからも保っていくことになるのだろう。


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