天使の楽園

2000/05/11 TCC試写室
ひとりのゲイの青年の死を描いたインディーズ映画。
面白いけど、これはわかりにくいよ。by K. Hattori


 ゲイの青年たちの心理を描いたインディーズ映画。監督の鈴木章浩はこれが監督デビュー作だが、イアン・ケルコフの『シャボン玉エレジー』などでプロデューサーをしていた人物。まるっきりのアマチュアというわけではないので、映画もまるきりの素人映画にはなっていない。ただし、これはちょっとわかりにくい。上映時間は1時間1分だけど、あと5分か10分でも足して、描かなければならない場面を撮り足しておいた方がよかったと思う。プレスに記載されている「ストーリー」を読んで、初めて「なるほどそういう意味だったのか!」と腑に落ちるような場面が多すぎるのです。

 仲間たちからタカチと呼ばれていたゲイの青年が死んだところから、この映画は始まります。タカチはなぜ死んだのか。そもそもタカチはどんな青年だったのか。映画の語り手は、生前のタカチと親しかった玲子という女性。彼女は自分の部屋に転がり込んできたソラオというゲイの青年の友人として、タカチと知り合うことになる。やがてソラオは突然故郷に帰って玲子やタカチたちの前から姿を消し、傷心のタカチもひとり故郷に帰る。玲子はシンペイという青年と出会い、ふたりでタカチの郷里に遊びに行く。それからしばらくして、タカチは東京に舞い戻って殺されてしまう。そんなお話。

 この映画にはセクシャリティについての3つのパターンが登場する。ソラオやタカチのようなゲイの青年、玲子は明らかにヘテロセクシャルらしい、友人のシンペイは自分自身のセクシャリティについてどっちつかずの立場をとっている。この映画はそうしたセクシャリティの問題を見事に相対化して描いているわけですが、一方でそれぞれの距離感を曖昧にも描かれている。キーになるのはシンペイという青年でしょう。彼がいなければ、ゲイの青年たちの恋愛事件を外野から見ている女性の話になってしまう。それではあまりにもつまらない。シンペイが媒介となることで、玲子がゲイの世界と肉体的な接点を持つことになるのです。

 主な登場人物は4人ですが、全員が一同に顔を合わせることはない。これが映画の中に漂う「欠落感」を強調します。互いが相手のことをすべては知り得ないという現実を、ソラオの存在や、シンペイのセックスの問題で象徴的に描くのです。さらに言えば、これは男女3人の関係を描いた物語です。ソラオ・タカチ・玲子の関係は、ソラオが消えたことで崩壊して、タカチも故郷に帰ってしまう。しかし残されたタカチと玲子にシンペイが加わると再び3人の関係が生まれるが、タカチが死んでしまうことでその関係も壊れてしまう。映画の最後にシンペイと玲子は肉体的な関係を持とうとしますが、仮にふたりが深い関係になったとしても、その関係は長続きしないであろう事がわかりきっている。

 面白い場面やいい場面はたくさんあるのに、説明不足でわかりにくい映画になってしまっている。ちょっともったいない映画です。監督の次回作に期待したい。


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