ハピネス

2000/03/21 シネカノン試写室
普通のアメリカ人たちのささやかな幸せ探しを描くコメディ。
ちょっと悪趣味なところが多すぎる。by K. Hattori


 豊かで物が満ちた時代には、かえって「幸せ」をつかむことが難しい。この映画は10人ほどの登場人物がささやかな「幸せ」を探そうとする物語。しかしそれは、思ったほど簡単なことではない。結局この映画の登場人物たちは、幸せの理想像や到達目標を持っているわけではないのだ。彼らはただ、今の状態に不満を感じているだけだ。何不自由のない生活をしていても、「今の私は本来の自分じゃない」「何かが変われば、私は今よりもっと幸せになれる」と思っている。でも何がどう変わればいいんだろうか? 衣食住のすべてが満ち足りた生活の中では、自分で何かを変える勇気を持つことは困難だ。

 この映画の中には、特別な人はひとりも登場しない。中心になるのは、ジョイ、ヘレン、トリッシュの三姉妹と、その周辺にいる男たち、そして姉妹の両親や子供たち。物語は彼らの生活ぶりを小さな断片に分けて同時進行させて行くが、どのエピソードもじつに悲惨なのだ。ありとあらゆる間の悪さと、ここ一番という場面でしでかす失敗、努力は空回りし、ようやくつかんだ幸せに浮かれていると足をすくわれる。同じように複数の登場人物の不幸を描いた映画に『マグノリア』があるが、あちらは登場人物をそれぞれの人生で最悪の状況に追いつめていく点がドラマチックであり、その最悪ぶりが徹底しているからこそ救済もあり得た。しかし『ハピネス』の不幸はいかにも中途半端すぎる。そこにあるのは、どこにでも転がっている等身大の「不幸」だ。他人から見れば「それがどうした!」と怒鳴って終わってしまうようなものばかりだ。どれも生死に関係のないものばかり。豊かさの中で生まれた「贅沢な悩み」なのだ。

 すべてが満ち足りた生活の中での「幸せ探し」は、方向を見失って迷走する。サラリーマンのアレンは、電話帳を片手に女性にイタズラ電話をかけ、相手の声を聞きながらオナニーしている。40年も妻モリーと連れ添ってきたレニーは、独りになりたくて妻に別居を申し出る。セラピストのビルは、息子と同年輩の少年とのセックスを夢見ている。ジョイは移民向けの英会話教室の講師になり、生徒のひとりと深い関係になる。作家のヘレンはスランプから脱出するために、危険なセックスの冒険に挑もうとする。誰も彼も、波間に浮かぶ小舟のように行方を見失っている。結局この映画の中でもっとも目的がはっきりしていた人物は、ソ連からの移民ヴラッドということになるのだろう。彼の行動原理は「女から金をむしり取る」という点で一貫している。彼は決して立派な男ではないが、その行動のシンプルさ、わかりやすさを考えると、この映画に登場する人たちの中ではもっとも「健全」な人物なのかもしれない。

 セックスがらみのエピソードが多く、アレンの部屋の絵はがきや、ビルが作ったツナサンド、ヴラッドと夜を明かした翌日のジョイの様子など、笑ってしまう場面がいくつかあった。でも2時間14分はいささか長さを感じさせられた。監督はトッド・ソロンズ。

(原題:HAPPINESS)


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