川の流れのように

2000/03/07 東宝第1試写室
森光子主演の老人映画。原作・脚本・監督は秋元康。
なんでこんなにつまらないのか……。by K. Hattori


 『グッバイ・ママ』『マンハッタン・キス』に続く、秋元康3本目の監督作品(だと思う)。タイトルはもちろん、秋元康が作詞し、美空ひばりが歌った同名歌謡曲から取られている。主演は森光子。物語の舞台は、伊東に近い小さな町。漁業が主産業だったこの町だが、最近は漁獲量の減少で地域が地盤沈下を起こしている。老人たちは病院の待合室を社交場にして、日がな一日だらだらと過ごす。およそ覇気の感じられない風景。そんなちっぽけな町に、東京から広沢百合子という女性が引っ越してくる。老人たちは最初彼女をよそ者扱いするが、やがて彼女の魅力に引きつけられ、老人たち自身も少しずつ変わっていく。服装が明るくなり、よく喋るようになる。「年寄りらしく大人しくしていてくれ」と体よく厄介者扱いされていた老人たちは、生きるパワーを取り戻す。そんな話です。

 話の筋立ては簡単なのに、どうもよくわからない映画です。映画を観ていて「あの話はどうなったんだ?」と疑問に思う点が多すぎる。主人公の百合子は有名な小説家で、自叙伝執筆中に行方不明になったという設定。彼女の行方を、東京の出版社が血眼になって探している。彼女が引っ越した町の人々も、彼女の顔を見て「どこかで見たことのある顔なのよねぇ」と首を傾げる。ところがこの話、まったくその後の展開に生かされていません。私立探偵が出版社に現れたかと思うと、今度は町の老人の前に現れたりして、行動の辻褄がまったく合わない。百合子は重い病気にかかっているのですが、その病状を医者が無関係の第三者にペラペラ喋るし、私立探偵も事細かに病気のことを知っていたりする。患者のプライバシーはまったく存在しない。奇妙です。

 百合子と彼女を囲む6人の老人、そしてひとりの若者。それぞれのエピソードが説明不足で、取って付けたような問題解決に走りすぎているような気がする。例えば滝沢秀明が扮するカメラマン志望の若者の姉がなぜ死んだのか、その理由はまったくわからない。どうも事件に巻き込まれたらしいのだが、その詳細は不明なまま「近頃の若い連中は」と言われているだけ。この若者が百合子とどんな交流を持ち、それが彼の将来に対してどんな力を与えたのかもよくわからない。6人の老人たちはずっと昔からの幼なじみという設定ですが、相互の関係がわかりにくい。谷啓と菅井きんが夫婦という設定なんて、配役表の名前を見ないとわからないよ。エピソード配分のバランスも悪い。田中邦衛、いかりや長介、久我美子のエピソードは多いけれど、三崎千恵子や菅井きんには人物像を語るエピソードがない。こんなことなら最初から老人を4人組ぐらいに納めておけばよかったのに。

 映画のラストは「川の流れのように」で締めくくられますが、この場面もまったく感動できなかった。これほど単純な話が、こんなに穴だらけになってしまうのも奇妙な話。「これからの老人はかくあるべし」とでも言いたげな物語には白けてしまうし、メッセージの底の浅さにも白けてしまった。残念な映画です。


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