破線のマリス

2000/02/22 東映第1試写室
TV報道番組の編集ウーマンがはまった映像の罠とは?
もっと面白くなる映画なのになぁ……。by K. Hattori


 東京国際映画祭で観て「イマイチだなぁ」という印象を持っていたのだが、最近会った知り合いのライターが「最高でした」と感心していたのでまた観に行った。ひょっとしたら前回はあらぬ期待をかけすぎて、映画にない何かを求めすぎたのかもしれないと考えたからだ。あるいは映画祭で上映したものと、編集を変えている可能性だってある。でも今回改めてこの映画を観直して、やっぱり前回の印象は間違っていないことを再確認してしまった。この映画、ストーリーはすごく面白いのですが、演出の間が抜けていてスリルがないのです。僕は結末を知っているというせいもあるけれど、それにしたって少しもハラハラドキドキしないのはどうしてなのか?

 テレビ局の報道部で編集ウーマンとして働く主人公・遠藤瑶子は、記者たちが撮ってくる現場の取材映像を抜群のセンスで編集し、無味乾燥な事実の裏側にある“真実”に切り込む独特の感性の持ち主。編集手法は時に強引で恣意的ですらあり、多くの批判も受けているが、番組のキャスターやプロデューサーに信頼されているのも事実。彼女の編集した番組がもとで、難事件が解決したことも幾度かあるのだ。彼女は自分の仕事に絶大な自信を持っている。そんな彼女のもとに、汚職事件と弁護士の怪死事件にまつわるインサイダー情報が届けられる。隠し撮りされたビデオテープに映っていたのは、弁護士を尾行し、その後の死亡現場をうろつく役所の職員らしき男の姿。彼女はこの男こそ犯人だと直感し、このスクープを放送に乗せるべく奔走する。だがこれは、彼女に向けられた用意周到な罠だった。

 映画の欠点は冒頭から明らかだ。タイトル前のエピソードは彼女がいかに有能な編集ウーマンであるかを示すエピソードなのだが、映画ではこの段階で既に、彼女の周囲に暗雲が漂っている。これは明らかに演出プランのミスだと思う。完成したビデオをわしづかみにして生放送中のスタジオに走る場面は明らかに『ブロードキャスト・ニュース』からの引用だろうが、秒刻みで進められる生放送の緊張感とその中で綱渡りを楽しむかのようにビデオを編集する主人公を描くことで、彼女の能力や自負、周囲から寄せられている期待感と信頼感などを余すところなく描き出す。ここは彼女の存在を徹底的にポジティブに描くべきだと思う。彼女の地位は安泰であり、将来も明るい。放送現場はスリルと活気に満ちあふれ、そこには一点の曇りもない。TVの視聴者や映画の観客が漠然とイメージしている「華やかなマスコミ業界の舞台裏」こそを、ここで描くべきなのだ。

 主人公は罠にはまって挫折する。この挫折を効果的に描くには、最初に彼女が立っていた位置をより高い場所にしておくことだ。2階から飛び降りてもせいぜい大ケガだが、10階から飛び降りれば即死する。この映画の中で彼女は階段を駆け足で上りながら、自覚することなく危険な高みへと登っていく。その高揚感、その充実感をたっぷり描いた後、下に突き落として欲しかった。


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