追憶の上海

1999/12/15 TCC試写室
国民党政府に弾圧される共産党員の悲劇を描いた中国映画。
アメリカ人医師の位置づけが中途半端。by K. Hattori


 レスリー・チャン主演の文芸ラブロマンスだと思ったら、なんだかアテが外れて困ってしまった映画。物語の舞台は1936年代の上海。レスリー・チャン演じる共産党幹部ジンと、妻と偽称して彼に寄り添う女性党員チウチウの秘められた愛を、租界暮らしをしているアメリカ人の青年医師ペインの目から描いたメロドラマ。この映画の致命的な欠点は、物語中のペインの位置がいかにも中途半端なこと。彼を事件の目撃者という狂言回しの位置に置いているようでもあるが、それにしては彼が物語に深く関わりすぎている。物語はペインの一人称で進行するのだが、ペイン本人の人物造形はあまりにも薄っぺら。彼の目を通して描かれるジンやチウチウも表面的すぎて、結局この映画は、どの人物の内面にも踏み込み損ねているような気がするのだ。ペインのエピソードを膨らませて「ひとりのアメリカ人が体験した忘れ得ぬ出来事」という話にしてしまうか、彼を完全に脇に追いやって狂言回しに徹してもらわないと、本来の主人公であるジンとチウチウの存在が際立ってこないと思う。

 レスリー主演映画ではあるが、これは中国本土の映画。映画のテーマは「中国共産党の不遇時代」であり、主人公たちは「迫害にくじけることなく戦い続けた共産党の志士」であり、彼らは「革命のためなら親をも殺す強い意志」の持ち主だったりする。結局、映画の中身は中国共産党礼賛なのだ。映画の最後は解放後の中国で人民解放軍兵士が通りをパレードする場面が誇らしげに描かれるが、ここから文化大革命を連想して顔をしかめる人もいると思うけどなぁ……。

 この映画は、'30年代の上海に滞在したアメリカ人医師の回顧録を映画化したという設定になっている。実際にはペイン医師は存在せず、この映画はすべてがフィクション。この映画はいわばフェイク・ドキュドラマなのだ。このアイデアはなかなか面白い。しかしどうせドキュドラマ形式にするなら、導入部のナレーションなどはもっと工夫の余地があったと思う。主人公が当時の中国の状況をどのように見ており、それがジンとチウチウとの交流を通してどのように変化したのか。ジンやチウチウの受難が、中国の歴史のどんな位置にあるものなのか。ほんの一言二言で説明できることが、まったく説明されていないのは不満だ。

 例えば、当時の欧米人に抜きがたく存在した中国人蔑視の風潮から、ペイン医師が自由であったとは思えない。彼が心の中にある偏見や差別をどのように乗り越えてジンやチウチウとの友情を育てたのかを描くだけで、そこにはドラマが生まれるだろう。彼らが出会った1936年の12月には西安事件が起こり、翌年には国民党政府と中国共産党は手を結んで対日抗戦にあたることになる(国共合作)。これがわかっていると、ジンとチウチウの運命がより悲劇的に思える。こうした説明は、きちんとしておいてほしい。中国映画にしては垢抜けた作品で見せ場も多いが、欠点も多い映画だと思う。

(原題:紅色恋人 A TIME TO REMEMBER)


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