スペシャリスト
自覚なき殺戮者

1999/12/02 シネカノン試写室
イスラエルで行われたナチス戦犯アイヒマンの裁判記録映画。
アイヒマンの「普通の男」ぶりがかえって不気味。by K. Hattori


 1945年にナチスドイツが壊滅したとき、ナチス将校の一部はヒトラーらと共に自殺し、一部は連合軍に逮捕され、残りは逃げ出した。ナチス親衛隊の中佐アドルフ・アイヒマンも、あわててドイツを逃げ出したひとりだ。彼はナチスのユダヤ人絶滅計画に深く関わっていた。彼はベルリンの親衛隊事務所の中で、ドイツ占領下にあるヨーロッパ各地からどのようにしてユダヤ人を集め、効率よく収容所に輸送することができるかを計算し、実行した。ホロコーストを題材にした映画には必ず、家畜用の貨車にすし詰めにされたユダヤ人たちが登場するが、あの残酷なユダヤ人輸送をすべて取り仕切っていたのがアイヒマンなのだ。彼は戦後アルゼンチンに潜伏していたが、1960年にはイスラエルの特務機関に捕らえられ、エルサレムの法廷に立つこととなった。この映画は逮捕の翌年行われたアイヒマンの裁判を記録したビデオテープを、最新のデジタル技術を使って修復し、編集し直したドキュメンタリー映画だ。

 戦争映画の中に出てくるナチスの将校は、いつだって冷酷な殺人鬼として描かれる。彼らはナチズムという狂気に洗脳された殺人マシーンであり、およそ人間らしい感情を持ち合わせていないサディストだ。しかしこの映画に登場する現実のアイヒマンは、そこいらの往来を歩いていそうなしょぼくれたオヤジにすぎない。裁判で検察官はアイヒマンがいかに非人間的なケダモノなのかを声高に主張しますが、現実のアイヒマンはそれをことごとく裏切ってしまうのです。数百万人のユダヤ人やポーランド人を殺戮することに積極的に手を貸していたこの男は、官僚組織の中で能力を発揮する優秀な男だった。会議があれば自分もいくつかの提案をし、何かが決定すればそれに忠実に従う。しかしそこには、自分の行っている行為が最終的にどのような結果を生み出すかという想像力がない。自分の責務に対して忠実であることが正しいと信じ、ユダヤ人の命を救うことより、彼らを効率よく殺す方法を提案実行して、自分が上司に気に入られることを願ったアイヒマン。

 アイヒマンは自分のやったことがユダヤ人を非常に苦しめたことは認めながらも、「上官の命令を実行しただけの自分に責任はない」と主張する。自分は上官の手足となって働いたに過ぎず、自分がその仕事を拒否しても誰か別の人間がそれを行っただろう。不幸な時代の不幸な状況が、自分を組織の中の責任ある地位につけ、それによって自分は裁判を受ける羽目になってしまった。アイヒマンは裁判を受けている自分を「運が悪かった」と思っていたに違いありません。

 僕はこの映画のアイヒマンを見て、「こういう人は今でもいるな」と思った。薬害エイズ事件などが典型的です。組織の中で人間個人の責任がどんどん曖昧になると、罪の意識を持たないまま犯罪が行われ、責任を感じないままある人間が責任を問われることになる。現代人は誰もが、第二のアイヒマンになる可能性を持っています。

(英題:THE SPECIALIST)


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