欲望の仮面

1999/11/30 ぴあ試写室
ネパールの民間信仰と家族のつながりを描くドラマ。
話はともかく、生活の細部が面白い。by K. Hattori


 アジア・フィルム・フェスティバルで上映されるネパール映画。監督はドキュメンタリー出身のツェリン・リタール・シェルパで、これが初めての劇映画だという。カトマンズに住む平凡な夫婦と、近所に住む女祈祷師との関係を描いた映画だが、民間信仰と男女の愛憎が入り交じった、奇妙な面白さがあった。話そのものは面白くも何ともないが、ネパール人の宗教観や世界観、家族観などの一端がうかがえるようで面白いのです。

 夜警の仕事をしているディパクは、妻のサラスウォティと娘ふたりの4人暮らし。息子に恵まれなかった夫婦は、トリプラ女神に祈って男の子を授かるが、この子は生後数週間で死んでしまう。その後体調を崩したサラスウォティは、トリプラ女神の化身である美しい女祈祷師ギタにお祓いを受けることになる。ギタは少女時代に結婚していたが、夫は精神を病んで自殺。その後、彼女にはトリプラ女神が憑依するようになった。それから10数年。祈祷師としての人生に疑問を感じ始めていたギタは、たくましいディパクを見て心を引かれ、ディパクとサラスウォティ夫妻の家をしばしば訪ねるようになる。やがてサラスウォティは美しいギタに嫉妬してヒステリーを起こし、それを悪霊に祟られているためだと考える。彼女は夫に付き添われながら、ギタのもとでもう一度お祓いを受けることになるのだが……。

 ディパクとサラスウォティの家は夫婦と子供だけの核家族で、ディパクの母親は田舎で暮らしているという。嫁のサラスウォティの具合が悪いと聞くと、ティパクの母は家事を手伝いにカトマンズまでやってくる。そこで起きる、嫁と姑の争い。ディパクは妻と母の間で板挟みになる。このあたりは、まるで橋田ドラマじゃないか。ネパールなどと聞くと、山の中の素朴な暮らしを想像するが、こと家族の問題に関しては、日本とあまり変わらないのかもしれない。この嫁姑問題は映画の中でかなり大きく深刻な事件なのですが、僕はこのエピソードに親しみを感じて、妙にほのぼのしてしまった。

 物語はディパクをはさんで、妻のサラスウォティと、女祈祷師のギタが三角関係になる話です。サラスウォティとギタは、表面上は仲のよい友人同士。ところが互いに胸の中に秘めていた相手に対する敵愾心と嫉妬は、サラスウォティの場合“悪霊憑き”のヒステリー発作として、ギタの場合は相手に対する過剰な祈祷儀式として表に出てしまう。最後は女ふたりがつかみ合いの大喧嘩をするのだが、その結末がどうなったのかはわからない。いずれにせよ、ひどく破滅的な結末であるらしい。

 この映画の中では、まじないや祈祷が「非科学的なもの」「無知な大衆が信じる迷信」とは描かれていない。登場する人たちは全員が神や悪霊の存在を信じていて、そこに一片の疑問も持ってはいない。もし神懸かりがある種の精神病なのだとすれば、ギタは秘かに恋をすることで病気が治ってしまったことになる。でもそれは、ギタにとって良いことなのか悪いことなのか……。

(英題:Mask of Desire)


ホームページ
ホームページへ