ナン・ナーク
ゴースト・イン・ラヴ
(公開題:ナンナーク)

1999/10/31 ル・シネマ2
(第12回東京国際映画祭)
兵士が家に戻ったとき、待っていたのは妻子の幽霊だった。
タイ人が実話だと信じている幽霊の話。by K. Hattori


 タイの人々が実話だと信じる、有名な伝説の映画化だという。19世紀半ばのタイ。徴兵されて家を離れることになったマークと、妊娠中の愛妻ナークは、人も羨むような仲睦まじい夫婦だった。ところが戦場で重傷を負ったマークは、なかなか家に帰れない。だがようやく傷の癒えたマークが懐かしい故郷に帰ったとき、妻のナークは赤ん坊を抱いて笑顔で夫を迎えてくれた。もとどおりの生活をゼロからはじめようとするふたり。だが、じつはナークはマークの留守中に難産で母子共に死亡しており、マークを迎えたのは彼女の幽霊だった。村人たちは気味悪がってマークたちを避け、彼に事実を告げようとした友人は、ナークに呪い殺されてしまう。マークは自分の妻と子が幽霊だとは、夢にも思っていない。やがて村人たちは、ナークの幽霊を追い払うために仏教僧に相談したり、有名な呪術師を呼ぶのだが……。

 話の筋立ては上田秋成の怪談集「雨月物語」の中の傑作エピソード「浅茅が宿」です。後半は別のエピソードに似たものがありました。タイではこれが19世紀に起きた実話だと信じられているらしいが、日本では江戸時代に書かれた小説の中の出来事だ。実話か否かはさておいて、離れた場所で同じような怪談が語られているという事実がまず面白い。僕はこれだけで、タイにすごく親しみを持ってしまった。ただし怪談としての語り口は、上田秋成の方が一枚も二枚も上手。「浅茅が宿」における主人公の帰還と真相暴露のカタルシスは、この映画にまったく欠けているものだ。映画後半で見せる亡霊の執着心も、なんだか中途半端で仕方がない。ノリとしては香港映画の路線らしく、最後に高僧が出てきて物事が解決してしまうところはキン・フーの『侠女』みたいな唐突さだった。(『侠女』は台湾映画だったっけ。)

 怪談映画にしては、幽霊の正体を早い段階で見せすぎている。この映画は全体を3つのパートに分け、序盤は愛し合う夫婦の涙ながらの別れと戦場での苦しい日々、傷ついたマークの望郷の念、残されたナークの淋しさと辛い毎日を徹底的に描き、次のパートでは、再会したマークとナークの幸せいっぱいの日々をたっぷりと描くべきでした。主人公たちの再会の喜びが大きければ大きいほど、それが幻であったことを知ったときのショックや恐怖は大きくなる。高々と持ち上げてから突き落としたほうが、落下の衝撃は大きくなるのです。それがドラマ作りの原則でしょう。にも関わらずこの映画は、主人公たちが再会した喜びの裏で、村人たちの恐怖や不安を描いて、主人公たちの幸福な生活が偽りであることをばらしてしまう。これではすべてが興醒めです。

 上田秋成の「雨月物語」は溝口健二が映画化していて、そこで取り上げられているエピソードは「浅茅が宿」と「蛇淫の精」でした。たぶんこの映画はその翻案でしょう。あまり恐くない映画でしたが、エンドクレジットを見てビックリ。この映画はドルビーEX対応になってます。タイ版の『ホーンティング』だったのね!

(原題:Nang Nak)


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