ノッティングヒルの恋人

1999/08/13 GAGA試写室
ジュリア・ロバーツがアメリカ人大スターを演じる恋愛ドラマ。
演出が下手くそで面白くなりそこねた。by K. Hattori


 この秋、日本ではジュリア・ロバーツ主演映画が2本公開される。1本がリチャード・ギアと共演した『プリティ・ブライド』。もう1本が、ヒュー・グラントと共演した『ノッティングヒルの恋人』だ。僕は『プリティ・ブライド』が今ひとつだったので『ノッティングヒルの恋人』に期待していたのだが、これもダメだったのにはガックリだ。アメリカの映画スターがロンドン下町で小さな書店を経営している男と知り合い、恋に落ちるという物語。近年アメリカ映画界を席巻しているイギリス映画ブームに便乗したような企画だが、監督・制作・脚本・キャストなどをすべてイギリス人で固め、そこにアメリカ人のヒロインだけをポンと放り込んだ構成は手が込んでいて、なかなか面白いと思う。本物の大スターが虚構の大スターを演じることで、導入部には説明不要のスピード感もある。誰もが知っているアメリカ人の大スター、アナ・スコットを演じるのに、ジュリア・ロバーツほどの適役はいないだろう。

 この映画の欠点は、主人公たちがどこで相手に惹かれたのか、相手のどこに魅力を感じているのかが、まったく画面から見えてこないところだ。これは脚本より演出の問題だと思う。例えばふたりが初めて出会う書店の場面の演出が、なぜこんなに台詞を追うだけになっているのかは大いに疑問。アナのウィリアムに対する警戒心がほどけ、淡い好感に変わる重要な場面なのに、そうした意識がこの場面の演出からは伝わってこない。ほんの小さな演出でいいのです。万引き男とのやりとりをビックリしながら見ていたアナが、思わずクスクス笑いだしてしまうような場面を少し挿入するだけでいい。それだけで観客はアナに親近感を感じるし、アナとウィリアムの距離感もずっと縮まってくる。

 他の場面でも言えることですが、この映画はアナの気持ちがまったくわからないのです。物語の要所要所で、ウィリアムの台詞や行動に対するアナの反応を描き切れていない。例えば、ウィリアムをホテルの部屋に招きながら、入口で追い返してしまう場面も、ウィリアムの気持ちはわかるけど、アナがこの時何を考えているのかが見えてこない。ウィリアムを見送った後、彼女の悲しそうな顔、寂しそうな顔、悔しそうな顔などをほんの少し見せてくれれば、それだけで観客はアナの気持ちが理解できたでしょう。でもこの映画にはそれがない。

 話のアイデアは悪くない。登場人物も魅力的。キャスティングもバッチリ。それなのに面白くないので、逆に不思議になってしまうほどです。良質の小麦粉でパン生地を練ったのに、十分寝かしてふくらませない内にオーブンに入れちゃったような映画です。生地の発酵にムラがあるのか、ところどころに奇妙な面白さがある。主人公のルームメイトを巡るエピソードは、どれも映画としてバッチリ決まっている。でも他の場面はほとんどがダメ。もったいなすぎる。ものすご〜くもったいない。この10倍は面白くて感動的な映画になるはずなのに。

(原題:Notting Hill)


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