幸せな日々

1999/06/13 パシフィコ横浜
(第7回フランス映画祭横浜'99)
30歳前後の男女複数名を主人公にした友情の物語。
もう少し短くしてもよかったと思う。by K. Hattori


 数名の男女を同格の主人公にした人間ドラマ。オムニバス映画ではないが、何人かの登場人物それぞれのエピソードが時に交差し、すれ違いながら物語を紡いで行く。時間や場所が広範囲にわたる(時間は2年ほど、場所はパリからモロッコまで)ので、「グランドホテル形式」とは言えないのだろうが、無駄のない物語り展開で最後まで飽きずに観ることができる。この手の群像劇では、登場人物を学生時代の同級生や職場の同僚など、限定されたメンバー内部で収めるのが定席なのだが、この映画では、友人や恋人、友達の友達など、ずっとオープンな人物構成になっている。この映画ではあらかじめ出来上がったグループが物語の幕開きと同時に舞台に登場するのではなく、舞台の幕が開いてから、登場人物たちが物語に次々「参加」してくるのだ。この手法は結構回りくどさが、2時間半弱という上映時間につながっているような気もするが、小さなエピソードまで丁寧に描かれているので、上映中に退屈することはない。

 この映画は徹底的に各人物とエピソードが同格に描かれていて、物語全体の案内役にあたる人物もいない。描かれている時間は、恋人に振られて自殺未遂を起こしたジュリーが退院するところから、彼女がモロッコ人の青年アリと新生活を始めるまでを区切りとしているが、ジュリーやアリは他の人物のエピソードでは完全な脇役に回ってしまう。それぞれの人物に十分な感情移入をさせつつ、こうした視点の移動を巧みに行なう監督の手腕はたいしたものです。映画を観ているとき「あの人はどうなったのだろう?」と心配になった頃に、きちんとその人物の行方を追い掛けるタイミングも素晴らしい。

 どの人物も大好きになってしまうのですが、僕はこの映画を観て「この人が一番好きだ!」「こいつは俺に似ている!」と思える人を見つけられなかった。定職につかないまま友人たちの写真を撮り続けるセシルや、妻の父親が経営するレストランでシェフとして働くルーカスなど、印象に残る人物は何人かいるのですが、どこか他人行儀に「はあ、そうですか」という見方しか出来なかった。これはシークエンスごとに主人公が完全に入れ替わるという、映画の手法がアダになっているのだと思う。これが最初からこの映画の主旨なのだから、一概に失敗とも言えないわけで、単なる趣味の問題だと思う。

 登場人物が多くて、誰が誰だか時に見失ってしまうことがありました。観ている途中で「あれ、この人はさっき何をしていた人だっけ?」とか「この人は前に出てきたかな?」と考えてしまう。僕が日本人で、欧米人の顔を見分けにくいというハンデもあるのかもしれませんが、上映時間のこともあるし、もう少し人物を減らしてエピソードを切り詰めて行くことも考えられたのではないだろうか。ただ、完成した映画には特に冗長な部分があるわけでもないので、「ここが切れる」「ここを切るべきだ」なんて事は言えない。減らすとしたら人物ごと整理することになるからです。

(原題:NOS VIES HEUREUSES)


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