カジモド

1999/06/12 パシフィコ横浜
(第7回フランス映画祭横浜'99)
パトリック・ティムシット監督・主演の現代版『ノートルダムの鐘』。
神父を演じたリシャール・ベリに爆笑する。by K. Hattori


 『ペダル・ドゥース』や『パパラッチ』に主演していたパトリック・ティムシットが、初めて監督した長編映画。ディズニー・アニメにもなったビクトル・ユーゴーの古典「ノートルダムのせむし男」(アニメのタイトルは『ノートルダムの鐘』)を、現代風にアレンジしたハチャメチャなコメディだ。資産家の両親に祝福されてこの世に生を受けた主人公カジモドは、幼児洗礼式の日に起きた不幸な事故が原因で体に障害を負ってしまう。そんな彼を母親は疎んじ、両親は彼を捨てて、誘拐してきた美しい少女エスメラルダを我が子として育てることにしたのだ。教会に預けられたカジモドはそんな不幸な境遇にもかかわらず、素直にスクスクと成長して行く。そして15年。二十歳になったカジモドは、自分の両親やエスメラルダと再開することになる。

 カジモドの育ての親となるフロロ神父を、『ペダル・ドゥース』でお堅い銀行頭取を演じたリシャール・ベリが熱演。厳格で狂信的ともいえるカトリックの司祭で、夜になると娼婦たちが集まる場所に出かけて聖書グッズを販売。しばしば欲望に心動かされる自分を罰するために、教会内に作った専用の隠し部屋の中で、カジモドに自分を鞭打たせるSM趣味の持ち主。この性格破綻者を、ベリがニコリともせずに演じるおかしさ。動作もいちいち大げさで、台詞回しもひたすら重々しいのがいい。言葉と行動のギャップは、『ドーベルマン』に登場した神父ギャングに匹敵します。フランスは保守的なカトリックの国ですが、映画人はそんなことおかまいなしに権威をパロディにしてしまう。アメリカもキリスト教国ですが、同じキリスト教でもプロテスタントなので、カトリックをここまで茶化してしまうことには躊躇するでしょう。身近な権威こそ、茶化しがいがあるのです。

 エスメラルダを演じているメラニー・ティエリーは、役柄のうえではカジモドと同じ二十歳という設定。しかし実際には、もっとずっと幼い感じです。(資料には年令が書いてないぞ……。)この映画のエスメラルダは、わがまま放題に育てられた世間知らずで生意気な小娘であって、官能的な魅力で男たちを虜にするわけではない。でもフロロはSMの他にロリコンの趣味もあるのか、この子供っぽいエスメラルダにぞっこんになってしまう。このあたりの倒錯した感情を、ベリが大真面目に演じているのが猛烈におかしい。痛快です。

 夜10時から上映された作品で、朝から会場に来ていた僕は疲労のピーク。映画を観ている最中に、何度も気が遠くなりそうになってしまった。普段は映画の後の質疑応答まで席を立たない僕ですが、この時は帰りの電車がなくなる心配もあって、エンドタイトルが出ると同時に会場から出てしまった。去年来日できなかったティムシットが今年は来ているから、本当なら話が聞きたかったのに……。限られた日程の中にたくさんの映画を詰め込もうとする気持ちはわかるけど、映画祭を運営する側は、もう少し観客の都合を考えてほしい。

(原題:QUASIMODO D'EL PARIS)


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