少年たち

1999/06/11 パシフィコ横浜
(第7回フランス映画祭横浜'99)
家出した少女が向かった郊外には子供たちの独立国があった。
難しい社会問題を優しい視線で描いた。by K. Hattori


 『ポネット』のジャック・ドワイヨン監督最新作。今回も子供を主人公にした作品だが、前作以上に社会的な題材を扱っており、子供たちは苛酷な情況に置かれている。12歳の少女タリアの家に、長い間留守していた養父が帰ってきたところから始まる。この男は娘の友達にイタズラして町から逃げていたのだが、被害者の少女が警察に訴えないのをいいことに、のこのこと町に舞い戻ってきたのだ。タリアは飼っている犬のことで養父とケンカして家を飛び出すが、残された幼い妹が彼にイタズラされないか心配だ。郊外の知人を訪ねたタリアだったが、目的の相手は見つからない。やがて彼女の連れていた犬が何者かに盗まれてしまう……。

 郊外のスラムに暮らす若者たちを描いた映画には、マチュー・カソヴィッツ監督の『憎しみ』がある。今回の映画は、その少年少女版だと言えるだろう。家族が崩壊し、貧しさに慣れっこになり、あらゆるモラルが消滅してしまった社会の中で、子供たちはしたたかに生きている。彼らは屋根つきのアパートに住んでいるものの、保護してくれる大人の姿は一切見えず、実質的にはストリート・チルドレンと同じようなものだ。生活の糧を得る手段は、万引き、泥棒、強盗、麻薬の売人などしかない。将来の夢は一人前の泥棒になって子供を後継ぎにすること。とにかく将来は悲観的なのだ。明るい未来などない。

 タリアの犬を盗んだ少年たちが、いけしゃあしゃあとタリアに近付き「一緒に犬を探してやる」と声をかける図太さ。一方で犬を売り払い、一方では親切めかして被害者からも金をむしろうとする。そんな少年たちの裏の顔を、タリアも薄々は勘付いている。でも犬さえ返って来れば、タリアはそれで構わない。タリアは少年たちと一緒になって、ピザ屋からバイクを盗み、それを返して礼をせしめようとしているではないか。タリアは犬を盗まれた同情に値する被害者だが、一方ではまったく同じ仕打ちを他人にして、何の痛みも感じないのです。

 映画の前半から中盤までは、この手の痛々しい描写が続き、観ているこちらは暗い気分になってしまった。でも終盤になると、話のタッチががらりと変わってくる。世の中がどんなに苛酷でも、子供たちはその中で生きていくしかない。それが子供たち自身の口から宣言されたとき、この映画は単なる社会告発のドラマから、子供たちが苛酷な環境を生き抜く様子を描く「冒険活劇」に変化する。理解なき大人をけちらし、子供に暴力を振るう親たちを警察に突き出して、タリアは子供たちだけで生きていく技術を身につけてゆく。

 子供版『憎しみ』、現代版『蝿の王』として始まった映画は、終盤になって『十五少年漂流記』になり、最後は『小さな恋のメロディ』になる。要するに、どんどん物語が楽観的になっていく。でもこの変化は、決して甘いハッピーエンドへの妥協などではない。子供たちだけの社会は、決して楽園ではありえないのです。何とも辛辣なハッピーエンディングではないでしょうか。

(原題:PETITS FRERES)


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