ヌーヴェル・イヴ

1999/06/10 パシフィコ横浜
(第7回フランス映画祭横浜'99)
恋した相手は妻子持ち。不倫の恋に挑んだ現代のイヴ。
ハッピーエンドの周囲には不幸が転がってる。by K. Hattori


 独身で気ままな生活を送ってきたカミーユは、妻子持ちの中年男アレクシスに恋をする。何とか彼の気を引こうとするのだが、愛妻家で家族思いの彼は振り向きもしない。彼の立ち回り先をウロウロしたり、偶然を装って接触を持ったりしても、彼は気付かないのだか気付いているのに知らんぷりしているのか、頭がいいのか鈍感なのかわからない。意を決して彼に告白しても、すげなくされるばかり。家庭第一で新しい恋に興味のない野暮天男など願い下げだとカミーユが身を退いたとたん、アレクシスはカミーユを口説きにかかるのだ。不倫の恋をテーマにした映画で、行き場のない恋の苦しさや辛さ、妻と愛人の確執、家庭内のドロドロなど、「不倫もの」の定番描写がたっぷり。しかし全体に描写はユーモラスで、ジメジメ陰湿な話になっていないのがい。これはカミーユのさばさばした性格によるところが大きいと思う。彼女は自分の気持ちや行動について、あまりグジグジ悩まない。思慮より先に行動あるのみ。何しろ彼女のモットーは「相手を知るには寝てみるのが一番」なのですから。

 主人公の気持ちの動きには共感できる点もあるのですが、熱烈に愛を語りながら、別の男とも平気で寝てしまう感覚に戸惑う人がいるかもしれない。フランス映画には、しばしば登場するヒロイン像なので、僕はあまり違和感がありませんでした。セックスに対する倫理感に関しては、ハリウッド映画の方がよほど保守的です。フランスだけがちょっと特殊なのかもしれないけど。

 アレクシスは社会党の幹部職員という設定で、この日の舞台挨拶に立ったカトリーヌ・コルシニ監督によれば、この優柔不断なキャラクターは監督自身の社会党に対する失望の反映だそうです。社会党というのは、フランスではかなりラジカルな主張をしている正当だと思われているようで、社会党の野党時代は、フランス映画界にもかなりの支持者がいたとか。ところが社会党が政権党になったとたん、それまでの革新的な政策をすべて反故にして、保守的な政党になってしまった。こうした社会党の体質を、表向きは革新を叫びつつ、私生活では保守的な家族主義者というアレクシス像に結びつけたようです。ただ、これはそうした事情がわからないと、なぜ彼が茶化されているのかがまったくわからない。日本人には、少しわかりにくい部分だと思います。

 男と女のアレコレについては、日本もフランスも変わらないなと思って観ていました。最初は「一緒にいられればそれで幸せ」と思っていたカミーユも、少しずつ彼を独占したくなってくる。奥さんがいたって構わないと思っていたのに、それがどうしても気になるようになってくる。精神科医が言うように、不倫の愛を成就するには、待ち受ける不幸と格闘するか、不幸を受け入れてマゾヒストに奈留しかない。結局カミーユとアレクシス派、自分たちも不幸になるし、周囲をもっと不幸にしてしまう。でもこの映画の中では、そうした周囲への迷惑を決して責めないのです。フランスは恋愛に寛容です。

(原題:LA NOUVELLE EVE)


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