オサムの朝(あした)

1999/05/27 東映第1試写室
リストラされた中年サラリーマンと、旅先で出会った小学生の少年。
ふたりは少年の日の思い出を通して強くなる。by K. Hattori


 リストラで子会社への転属を言い渡された中年サラリーマンと、ハリネズミのように自分をガードして何も語ろうとしない小学生が出会い、成り行きでキャンプをすることになる。サラリーマンは自分の少年時代を思いだし、その思い出話によって、中年になったサラリーマンと少年の心は癒されて行く。話そのものは「今の子供も辛いだろうが、昔の子供だってそれなりに辛かったんだよなぁ」というものですが、そこで「子供はつらいよ」という結論にはならず、最後にはきちんと元気が出てくるところがよろしい。

 主演は中村雅俊。青春スターだった彼も、いつの間にか高校生の娘を持つくたびれた中年サラリーマンを演じるようになったんだなぁ……。監督の梶間俊一は『ちょうちん』『集団左遷』などを撮っている人なので、映画としてはきちんとした作品に仕上がっています。安っぽい16ミリではなく、ちゃんと35ミリで撮影しているようですし、美術や衣装なども昭和29年頃を再現するのにがんばっています。なぜこの映画が、ごく小規模な公開しかされないのか疑問。いい映画なのに。

 単なるノスタルジーの映画ではありません。過去と現代を対比しながら、きちんと今の映画になっています。この映画で描かれているのは、子供に降りかかってくるさまざまな不条理。大人の理不尽な仕打ち。いわれのないイジメ。日常の中に侵入してくる狂気。身近な生命の死。大人になってしまえば「世の中なんてそんなものさ」と諦観してしまうような出来事も、子供にはひどく不合理で不誠実なことに思えます。子供にとって、世界は苦しみに満ちている。理解不能な身勝手ばかりが横行している。でもその中で、子供は歯を食いしばって生きて行くしかないのです。それは昔も今も変わらない。

 主人公であるサラリーマンと小学生の置かれた状況は、映画が始まる前も、終わった後も変わらない。サラリーマンは望まぬ転属を受け入れざるを得ないし、小学生も無理解な親から離れることはできない。でもふたりが出会ったことで、ふたりの心の中の何かが変わるのです。不条理とも思える世の中で、前向きに生きていく力を、ふたりはこの出会いを通じて見つけだすのです。この不思議な変化は、映画を観ている観客にも起きる。映画を観終わると、元気になるのはそのせいでしょう。

 この夏はどういうわけか、少年と大人が出会って旅をする映画が多いのは不思議です。『菊次郎の夏』では小学生と中年男のロードムービーですし、『あの、夏の日/とんでろ じいちゃん』では小学生の孫と祖父が過去へと旅をします。こうして3作品並ぶのは、ただの偶然ではないと思う。今の時代は大人の男が子供、特に少年に対して、自分の何かを伝えたいと思っているのかもしれない。少年事件だなんだで、世の中は何となく「今の子供たちはどうした!」という雰囲気なのですが、こうした映画を観ると、大人たちはまだまだ子供たちに何かしてやれるのではないかという気になってきます。


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