孔雀
(KUJAKU)

1999/05/10 メディアボックス試写室
クリストファー・ドイルの映画監督デビュー作。主演は浅野忠信。
撮影はあくまでも美しく、物語はひどく退屈。by K. Hattori


 ウォン・カーウァイ監督の撮影監督として『恋する惑星』『天使の涙』など多くの作品でコンビを組み、最近は韓国映画『モーテルカクタス』の撮影などで香港以外の場所にも活躍の場を広げ、ついにはハリウッドに進出して『サイコ』や『リバティ・ハイツ』の撮影監督にまでなった、クリストファー・ドイルの監督デビュー作。製作は日本と香港の合作。キャストも多国籍で、主人公のアサノを演じているのは浅野忠信だし、ケビン役のケビン・シャーロックはイギリス出身、スージー役のシューメイチンはシンガポール出身だ。ドイル監督自身も、出身はオーストラリア。こうして世界各国からいろいろな人々が集まった映画を作る時、舞台として成立しうるのは、ニューヨークか香港しかあり得ない。

 映画自体は、あまり面白いと思わなかった。登場人物3人が薄暗い“ダイブ・バー”に集まり一緒に過ごすという、ただそれだけの話を1時間半近くダラダラ描いているだけ。プレス資料によれば、これは「心のロード・ムーヴィー」だと言うのだが、アサノの心は壊れていて言動には脈絡がなく、あらゆる観客の感情移入を阻んでしまうだろう。映画の中には、脚本・監督・撮影を兼ねたクリストファー・ドイル自身の思い入れが色濃く反映されているのだろうが、それがどんなものなのか、少なくとも僕には伝わってこないのだ。

 撮影技術に関しては、今回も他の追随を許さないトリッキーなテクニックを駆使し、独自のドイル調を作り出している。特に今回は、青の美しさに目を引かれた。沖縄の青い海と空、ダイブ・バーの青いソファー。目を突き刺すような鮮やかな色彩が、濡れたようなしっとりとした落ち着きと同居している不思議な画面。フィルムスピードを自由自在にコントロールし、露出を乱し、編集で時間経過をはしょるなど、普通のカメラマンは恐くて真似できないようなことを、平然とやってのけるのだ。こうした映像表現は、確かに面白いし刺激的だ。でも、それだけで1時間半を保たせるのは難しかろう。

 主演の浅野忠信は、相変わらずすごく上手い。彼の演技を評して「どの映画を観ても同じ演技」と言う人が多いのだが、実際にはそんなことはない。彼の存在感があまりにも大きいので、どんな芝居をしても浅野忠信という個性を強く感じさせるだけです。オーバーアクトになることも、周囲に遠慮して萎縮することもなく、いつも映画の中の役を伸び伸びと演じている彼の芝居は、常に自然体で演技臭をほとんど感じさせない。だから観客によってはそれが、「演技を知らない大根役者」に思えてしまう。彼はきちんとした演技の基礎訓練を受けていない人らしく、台詞はいつもモゾモゾと口ごもって、歯切れが悪いという欠点も持っている。でもそうした欠点を補って余りある才能を、僕は彼に感じます。

 6月からロンドンで開催されるパン・アジアン映画祭では、浅野忠信主演作8本の特集上映が組まれているという。これがきっかけで「世界のアサノ」になるか?

(原題:Away with Words)


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