大菩薩峠

1999/04/30 徳間ホール
中里介山の原作を市川雷蔵主演で映画化した昭和35年の作品。
中村玉緒演じるお浜は現代にも通じる女性像。by K. Hattori


 大正2年から昭和19年まで新聞雑誌に連載され、文庫本にして20冊という中里介山の大長編時代小説(しかも未完)を、市川雷蔵主演で映画化した大作。当然1時間45分にすべてが収まるわけがなく、これは3部作の内の1作目にあたる。脚本は衣笠貞之助。監督は三隅研次。「大菩薩峠」は新国劇でも沢田正二郎主演で舞台化されているし、戦前戦後に片岡千恵蔵主演で映画化されているのが有名。主人公の机龍之助は明朗快活な正義の剣士には程遠いニヒルな男で、登場していきなり縁もゆかりもない巡礼の老人を斬り殺す。自己中心的な性格と身の程知らずな万能感が、突発的な暴力という形で爆発するあたりは、現在の「すぐキレる若者たち」に通じるものがある。素材としては古いのだが、案外これが現代にも通用してしまうのではないかと思われる次第。

 登場人物の中では、主人公の机龍之介より、彼に犯され、夫を殺され、それでも彼と共に江戸に逃れて行くお浜のキャラクターが秀逸。演じているのは、今やすっかりバラエティー番組の花形となった中村玉緒。お浜という役は、最初は夫と家を思いやる貞淑な武家の妻として登場する。だが龍之助に犯され、夫に離縁され、元夫も龍之助に殺されるや、それまで身に着けていた武家の女房としての仮面をかなぐり捨てて、本能のままに龍之助にすがりつく。それは愛情とか恋愛とかいう暖かい感情ではなく、より強い男にへばりつくことで自らの生きる道を切り開こうとする行動です。

 彼女は夫の文之丞を愛してはいなかった。もし文之丞を愛していたのなら、夫を殺した龍之助と江戸に逃げ、彼の子供を産むなど考えられないでしょう。彼女は結局、夫が立身出世することで、自分の属する「家」の地位が高められることを望んでいたのかもしれない。だがその家から追い出された時、彼女が頼りとするのは、自分を今の境遇から抜け出させてくれる強い男だった。武家のしきたりや世間の目をはばかることなく、自分の腕一本で道を開いて行ける男が欲しかった。そして机龍之介こそ、そんな彼女に打ってつけの男だったのです。

 しかし江戸に出ても、龍之助は何をするでもなくブラブラ過ごしてばかり。お浜はそんな龍之助をなじり、「あなたは構いませんが、坊やだけは身の立つようにしてくださいね」と口癖のように言う。このあたりは、現代のサラリーマン亭主に失望し、子供に過度な期待をする母親の写し絵だ。「あなたと結婚するんじゃなかった」「あの時あなたと出会わなければ、私は今頃もっとましな生活ができたはずなのに」と龍之助を罵倒するお浜に対し、龍之助はウンザリした顔で「女は魔物だ」とつぶやくしかない。僕はこの龍之助に、ひどく同情してしまった。この男は案外、人間くさい奴じゃないか。

 お浜との口論でかっとなった龍之助は、思わず抜刀してお浜を斬り殺す。「この場面で、世の亭主族の何割かは溜飲を下げるだろう」と言うと、まだ結婚に夢を持っている人たちは「そんなバカな」と思うかな……。


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