スウィーニー・トッド

1999/04/26 映画美学校試写室
ロンドン・フリート街を震え上がらせた「恐怖の床屋」の伝説。
ベン・キングスレーが殺人鬼を熱演。by K. Hattori


 舞台やミュージカルになって演劇ファンにはお馴染みのスウィーニー・トッドが、ベン・キングスレー主演で映画化された。僕はてっきりスティーブン・ソンドハイムのミュージカルを映画化したものだとばかり思っていたら、これは『スノー・ホワイト』や『エバー・アフター』にも通じる、新解釈の恐怖童話になっておりました。スウィーニー・トッドというのは、18世紀のロンドンに実在したと信じられている伝説的なシリアル・キラー。彼は表向き理髪店を生業としていますが、金持ちの客が現れると、ヒゲをあたるついでに喉を切り裂いて殺してしまう。死体はイスの仕掛けで地下室に落とされ、そこで金目の物や衣服を引き剥がしてバラバラに解体。哀れな犠牲者は少し離れたパイ工場に運び込まれ、人肉パイに加工されてしまうのです……。

 これは典型的な都市伝説。このバリエーションは20世紀に入ってからも、試着室で行方不明になる若い女性の話や、手首ラーメンとして何度も甦ってきます。スウィーニー・トッドの物語は、その原型としてじつに興味深い。しかし考えれば考えるほど、これは荒唐無稽で馬鹿馬鹿しい話。こんな話をまともに映像化しても、マンガチック過ぎて笑ってしまいます。しかし映画はこの伝説的殺人鬼を、リアリズムで描いていきます。僕はこれが大いに不満だった。当時のロンドンを綿密な風俗考証で再現している努力は買いますが、物語そのものは与太話なんだから、それを大真面目にやっても仕方がない。この映画では、スウィーニー・トッドが自分自身の殺人哲学を語ったり、彼の殺人の動機を従軍時代の経験に結びつけたりしていますが、こんなのはナンセンス。トッドが「戦争で大勢殺した奴は英雄になって今では政治家だ」なんてほざくのは、チャップリンの『殺人狂時代』を下手くそに引用したようでみっともない。

 スウィニー・トッドが殺人哲学を語るなら、それはパロディとして笑いに結びつかなくてはならない。トッドは恐るべき殺人鬼であると同時に、時代の気分を風刺する道化です。同じロンドンでずっと後に活躍する切り裂きジャック同様、トッドも恐怖の対象であり、同時に英雄でもある。彼の行動は忌むべきものであると同時に、民衆の溜飲を下げる痛快さを持ち合わせている。だからこそ、時代を超えてもトッドは人々に愛され(?)続けているのです。しかしこの映画に登場するトッドは、ただのケチな物取りです。こんなつまらない男が起こしたつまらない事件が、なぜ伝説になるんでしょう。

 トッドを演じたベン・キングスレーはさすがに上手いし、愛人のラベット夫人を演じたジョアンナ・ラムリーも存在感たっぷり。しかしそんなふたりの熱演も、この映画の中では周囲の野暮ったい反応に取り囲まれて、今ひとつエネルギーを発散しきっていない。監督はジョン・シュレンジャー。映画の作りが生真面目すぎて、まったく遊びがないのが欠点なんだよね。もっと徹底して人物をカリカチュアライズした方が面白いのに。

(原題:Sweeney Todd)


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