江原道の力

1999/04/15 シネカノン試写室
ソウルの喧噪を離れて素朴な風景の残る江原道に出かけた男と女。
旅先では出会わなかったふたりを二部構成で描く。by K. Hattori


 江原道(こうげんどう)は朝鮮半島中東部に位置し、南北に走る太白山脈には金剛山・雪岳山など名山が多い観光地だ。この映画の中では、ソウルから江原道を観光に訪れた登場人物たちが、ケーブルカーで山に登り、海辺で刺身を食べる。逆に言うと、山と海しかない田舎なのかもしれない。僕は山には興味がないんですが、あの刺身はうまそうだと思った。韓国風の刺身なので、辛いタレと薬味を乗せて、焼き肉のように葉っぱで包んで食べる。日本酒ではどうかと思うけど、焼酎には合いそうだ。ソウルでは値段の張る高級料理みたいですが……。

 『江原道の力』は、不倫の恋の終焉を描いたドラマ。物語は二部構成で、まずは女性の側から物語が描かれ、次に男性の側から同じ物語が描かれる。ふたりは不倫の恋に一応の終止符を打ち、心の痛手を癒すように、それぞれが友人と一緒に江原道への旅に出る。説明的な台詞は一切ないが、ふたつの物語を突き合わせる内に、徐々にふたりの関係がわかってくる仕掛けだ。女性の側から描かれる物語では、断片的にしか伝わってこなかった過去の経緯が、男性側の物語でもう少し詳しく語られる。また、男性側の物語で語りきれない内容が、女性側の物語を通して補われる。ふたつの物語の下には、地下水脈のように、自分からは見えない相手側の物語が流れている。それがどういうわけか、突然物語の上に浮上してくる瞬間がスリリングだ。例えば、大学の研究室で行方不明になった金魚が、江原道の山道に現れたりする。もちろん同じ魚が離れたふたつの場所に登場するわけではないのだが、消えた魚のエピソードと山道で発見された魚のエピソードが、ここでは不思議な共鳴を起こしている。

 監督は『豚が井戸に落ちた日』のホン・サンス。説明的な台詞や場面を盛り上げるBGMを排し、淡々とした日常の風景を傍観者の視点で描いて行く演出が、登場人物たちの内面に残酷なほど肉薄して行く。一見すると物語の本筋にはまったく関係のない場面が積み重なって、主人公たちの人物像を豊かに形作って行くのだ。作為的に不作為の行為を作り出し演出することで、この映画はフィクションでありながら、ドキュメンタリー映画のようなリアリティを生み出している。日常生活の中にあふれている「間の悪さ」「ばつの悪い瞬間」「無駄な時間」を、わざわざ映画の中に持ち込むことで、映画は作り物らしさが薄れていく。それでいて映画には冗長さがなく、女と男の物語が最後にはピッタリと組合わさるのだからすごい。無駄な時間や無駄な台詞を計算づくで作り出している点に、この監督の才能を感じてしまう。

 ひとつの時間を複数の視点で描くというアイデアは、取り立てて新しいものではない。ジャームッシュの『ミステリー・トレイン』も、タランティーノの『パルプ・フィクション』も、同じ手を使っている。『江原道の力』はそうした手法を使うことで、小さな恋の終わりという平凡な物語に、観客の耳目を集めることに成功しているのだろう。特に愉快な映画ではないが、面白い。

(英題:The Power of Kangwon Provice)


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