なで肩の狐

1999/03/23 TCC試写室
椎名桔平主演のハードボイルド・バイオレンス映画。
原作は芥川賞作家・花村萬月の同名小説。by K. Hattori


 花村萬月の同名小説を、'93年に『凶銃ルガーP08』でデビューし、その後も『truth』『蘇える金狼』『チャカ』などコンスタントに仕事をしている渡辺武監督が映画化。ヤクザ稼業から足を洗った男が、かつての仲間の出現によって、暴力の世界に舞い戻って行く様子を描いたバイオレンス映画だ。主人公“なで肩の狐”こと木常を演じているのは椎名桔平。最近はめきめきと力をつけ、演じる役柄も広がってきた旬の役者なので期待していたのだが、今回はちょっとイタダケなかった。

 ヤクザの世界では過激な暴力性をむき出しにして恐れられていた男が、堅気の市民社会に埋没して生きている。ヤクザを辞めたからといって、特別な何かになろうとしたわけではなく、ただ何となくダラダラ生きている。彼は自分の持つ暴力性を捨てたのではなく、平凡な市民という無表情な仮面の下に暴力性を隠し持っているのだ。それが、ある出来事を通して一気に噴出する。それが、この映画の中心テーマだと思う。椎名桔平はこうした人間の二面性を演じ分けられる役者で、自分が手伝っている店に来たヤクザを突然殴り倒て拷問したり、尾行していたヤクザを殺してしまったりする場面では、サディスティックとも思える凄味を見せます。

 主人公の木常と「キツネ」「タヌキ」気安くと呼び合う、昔なじみのヤクザ幹部・笹山を演じているのは鶴見辰吾。物語はこのふたりに、哀川翔演じる組織からのはみ出しヤクザ徳光がからんだ三つ巴になる。このキャスティングは、なんとかならなかったんだろうか。特に哀川翔は問題です。徳光役は北村一輝にでも演じさせると、負け犬の逆襲というテーマが即座に伝わったと思うし、主人公が「こいつのために一肌脱がなければ」という気になる設定も無理がなかったと思う。徳光とエリカの関係も、徳光役が哀川翔だと、中年男と少女の不純な関係に見えてしまう。1,2シーンに出演するだけのゲスト扱いならともかく、これだけ物語にからんでいる哀川翔が、1時間足らずで早々に退場したまま最後まで出てこないなんてあり得ない。これはキャスティングで最後のネタを割っているようなものです。

 脚本を書いているのは、これがデビュー作となる吉川次郎という人。物語の組立はともかくとして、人物の喋る台詞がすべて同じタッチで、どこかから借りてきたようなものばかりなのは気になりました。木常と笹山が気取った話し方をするのは構わないのですが、徳光まで同じような話し方をするのは問題だと思う。ここは少し口調を変えて、人間同士の距離感や位置を感じさせてほしい。また、一般市民である玲子(洞口依子)やエリカ(清水千賀)の台詞はもっと柔らかくストレートで、生活に根を張ったものにしないと、男たちの肩肘張った台詞回しが引き立ってこない。

 欠点の多すぎる映画で、どこかを少し手直しすればマシになるという部類の作品ではない。椎名桔平のファンでなければ、特に劇場で観る必要はないと思う。


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