未来展望

1999/02/25 TCC試写室
1967年にオムニバス映画の1挿話として作られたゴダール作品。
ラストのパートカラーは単純だけど力強い。by K. Hattori


 ジャン=リュック・ゴダールが1967年にオムニバス映画『愛すべき女・女たち』の中の1挿話として作った短編映画。上映時間は20分。ゴダールがアンナ・カリーナ主演で作った最後の映画です。今回はオムニバス映画全体ではなく、5月にシネセゾン渋谷で行われる「ヌーヴェル・ヴァーグの展開−近未来への旅」と題した上映で、クリス・マルケルの短編映画『ラ・ジュテ』と同時公開される。じつは今回の試写でも『ラ・ジュテ』と2本立てだったのですが、この日は体調が悪くて『ラ・ジュテ』上映中にウトウトしてしまい、こちらは後日観直すことになりそうだ。

 『愛すべき女・女たち』が日本公開された際、このエピソードは「2001年・愛の交換」というタイトルだったという。舞台は近未来の空港。宇宙船の乗り換えのため地球に立ち寄ったソヴィエト=アメリカ軍の士官がホテルに慰安婦(としか言いようがない)を呼ぶのだが、彼女は一言も口を開こうとしない。満足できない彼は係に申し出て別の女を呼んでもらうが、連れてこられた女は男に身体を触れさせない。じつはこの世界では娼婦の仕事が完全に分業化され、肉体的な奉仕専用の女と、言葉で男を慰める女とに分けられていたのだ……。

 男の部屋を訪れる言葉専門の娼婦を演じているのがアンナ・カリーナ。彼女が身に着けた言葉による高度な性的慰安テクニックのテキストが、聖書だというのが笑わせる。「気高いおとめよ サンダルをはいたあなたの足は美しい。ふっくらとしたももは たくみの手に磨かれた彫り物。秘められたところは丸い杯 かぐわしい酒に満ちている。腹はゆりに囲まれた小麦の山。乳房は二匹の子鹿、双子のかもしか……」(引用は新共同訳聖書「雅歌」7章より)。未来の娼婦が性的慰安の手練手管として聖書を引用するのがおかしいんだけど、これはごく一般的な日本人にはおかしさがわからないでしょう。

 映画の舞台は近未来ですが、大がかりなセットも特撮も一切なし。士官や娼婦のコスチュームが、少し未来チックなデザインになっている程度です。現代の風景の上にナレーションをかぶせて、強引に未来の風景に見せてしまうところはすごい。でも観ている内に、だんだんそれらしく思えてきてしまう。視覚と言語では、言語の方が勝るのです。インサートされる空港の風景に「放射能レベル異常なし」等の無機質な女性アナウンスが入るだけで、あら不思議、そこは未来の空港になるのです。

 最初からずっとモノクロの映画ですが、最後に士官と娼婦がキスする場面で、画面がパッパッとカラーに変わる。なんでもないアイデアですが、この効果は絶大。物語そのものは大して面白くないのですが、このラストのパートカラーはショッキングでした。全然別の映画ですが、浦山桐郎の『私が棄てた女』でラストがカラーになるのと同じぐらいのインパクトがあります。『私が棄てた女』は1969年の映画なので、浦山監督が『愛すべき女・女たち』を観ていた可能性も大ですが……。

(原題:L'Amour en l'an 2000 ou Au Anticipation)


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