サイモン・バーチ

1999/02/24 ブエナビスタ試写室
ジョセフ・マッゼロは成長するとジム・キャリーになる。
脚本に芯がなくてドラマが弱い。by K. Hattori


 『ジュラシック・パーク』や『マイ・フレンド・フォーエバー』のジョセフ・マッゼロ主演の、ノスタルジックなヒューマン・ドラマ。アシュレイ・ジャッド演ずるレヴェッカの私生児として生まれた主人公ジョーが、身体に障害のある親友サイモンとの友情を通して、人生にとって大切なものを見つける物語。原題も邦題も、サイモンの名前をそのまま使ったものだ。『マイ・フレンド・フォーエバー』ではエイズの少年を演じたマッゼロが、今度は攻守ところを変えて、難病の友を気遣う少年役を演じている。原作は『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』のジョン・アーヴィング。監督はこれが監督デビュー作となるマーク・スティーヴン・ジョンソン。彼は脚本家出身で、今回もアーヴィングの原作「オーエンのために」を自身で脚色している。

 映画としてのまとまりは、残念ながらあまりよくない。キャラクターは魅力的だし、エピソードのひとつひとつも面白いので最後まで飽きずに観られるのだが、映画全体を貫くテーマが弱く、物語が要所で寸断されているような気がする。成長したジョーがサイモンの墓の前にたたずみ、「僕にとって彼は忘れがたい友人だ。彼のおかげで僕は信仰の大切さに目覚めた」というような話をするわりには、映画の中にキリスト教的な匂いがしないし、主要登場人物の出し入れがぎこちなくて人間ドラマも腰砕け気味。これは脚本そのものの問題だと思う。

 少年時代の思い出をスケッチ風に描くだけなら、全体を通した大きなテーマは必要ない。例えばフリドリック・トール・フリドリクソンの『ムービー・デイズ』は、そうした作り方をしている好例です。でも『サイモン・バーチ』は最後に大活劇とドラマチックな感動を呼ぼうとする、オーソドックスなヒューマン・ドラマ。脚本ではラストの事件に向けて、最初からコツコツと足場を作っていかなければならない。足場を使ってドラマを上に上にと積み上げて、最終到達点を遥か高みに持ち上げる必要がある。ところがこの映画は、小さな足場をいくつか作っただけで、その上に次の足場を積み上げることができていない。ひとつひとつは面白くても、これではスケールの小さなものしかできないのです。

 映画の後半はジョーの父親探しになりますが、これがやや唐突な印象。映画の前半で彼の「私生児であるコンプレックス」を刷り込んでおかないと、ジョーがいきなり父親探しを始める動機が弱く感じるし、最後に父親が登場したときのショックも薄くなる。このあたりはあまり踏み込むと生臭くなるので難しいのですが、印象的なエピソードをひとつかふたつ加えて、ジョーの父親探しの欲求がもともと存在していたものであることを納得させなければならない。母親の恋人ベンのエピソードも、もう少し厚くしておいた方がよかったと思う。

 映画は大人になった主人公が過去を回想する『スタンド・バイ・ミー』形式。成長した主人公を演じているのは、あのジム・キャリーです。これにも注目。

(原題:SIMON BIRCH)


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