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刑法第三十九条

1999/02/18 松竹試写室
殺人罪で起訴された青年は本当に多重人格なのだろうか?
事件の裏に隠された衝撃的な人間ドラマ。by K. Hattori


 刑法第三十九条とは「犯罪の不成立及び刑の減免」に関わる条項のひとつで、「心神喪失者の行為は、罰しない」「心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する」というものです。どんなに残虐な事件を起こしても、犯人が犯行時点で心神喪失状態だった場合は罰を受けることがありませんし、心神耗弱状態だった場合は刑が軽くなります。そこで犯罪者の一部は裁判時点で「心神喪失」や「心神耗弱」を主張することになり、それが事実かどうかを判断する専門家の精神鑑定が行われることになるのです。最近では10年前に起きた「幼女連続誘拐殺人事件(宮崎勤事件)」や、一昨年の「神戸児童殺傷事件(酒鬼薔薇事件)」で精神鑑定が行われているようですし、オウム真理教の事件でも被告の松本智津夫も裁判過程で心神耗弱を装っている気配があります。

 住宅街で起きた残酷な殺人事件。逮捕された犯人・柴田真樹には、事件当時の記憶がない。やがて裁判が始まるが、被告はそこで精神障害の兆候を見せ、弁護人が司法精神鑑定を請求する。精神鑑定の第一人者である藤代教授は、被告人が多重人格であると結論付ける。ところが教授の助手・小川香深は、被告人の精神障害は詐病だと直感していた。検事によって再度の精神鑑定を依頼された香深は、独自の調査で柴田の内面を探って行く……。

 二転三転する裁判劇。その中で明らかにされる、犯人・柴田と鑑定人・小川香深の過去。社会的な問題提起とドラマが見事に融合し、人間ドラマとしての見どころもたっぷり。二重人格者の裁判を描いた最近の映画には、リチャード・ギア主演の『真実の行方』などがありますが、この『39/刑法第三十九条』はそれをはるかに凌駕する力作です。犯罪の中からじわじわと悲しい過去が浮かび上がってくる様子は、往年の名作『砂の器』にも匹敵すると言っていい。いやむしろ、『砂の器』以上かもしれません。しかしそれが、この映画の弱点でもあります。この映画には、泣かせどころがないのです。同じように「人間の業の深さ」を描きつつも、『砂の器』は最後にそれを涙で解かしてしまう救いがあった。でも今回の『39/刑法第三十九条』に、そうした救いはありません。映画を観たあと、観客の心には暗い澱のような不安感が残るはずです。それだけこの映画のメッセージは強い。「明日は我が身」という恐さがある。その恐さや不安を、映画は何も解消してくれないのです。

 画面の彩度を落とし、意図的にレンズの焦点をずらし、カットを短く切り刻んだ映像は、『プライベート・ライアン』の影響でしょう。真似であれ何であれ、こうした映像効果によって、映画に独自の緊張感が生まれたのは確かです。各登場人物のキャラクター造形も見事。堤真一の二重人格ぶりもすごいのですが、むしろ藤代教授を演じた杉浦直樹と、刑事役の岸部一徳が素晴らしかった。ミステリー映画なので、現時点ではあまり書けることがない。たぶん来年の各種ベストテンで、上位に入る映画だと思います。内容は物議をかもすでしょう。


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