ファイアーライト

1999/02/17 メディアボックス試写室
『ネル』の脚本家ウィリアム・ニコルソンの監督デビュー作。
ソフィー・マルソーの表情が素晴らしい。by K. Hattori


 『永遠の愛に生きて』や『ネル』の脚本家、ウィリアム・ニコルソンの監督デビュー作。物語の舞台は19世紀のイギリス。父親の負債を返済するため、匿名の貴族と夜を過ごし、彼の子供を産む契約をしたスイス人家庭教師エリザベス・ロリエ。彼女は名前も身分も知らない若い貴族に好意を持ち、「お金のため」と割り切りながらも強く心を惹かれて行く。エリザベスは「父を助けるため」、相手の貴族は「自分の義務を果たすため」に関係を持つ。それは快楽や罪とは無縁のはずだった。だが肌を重ねるごとに、ふたりの気持ちは否応なしに強く結びついていく。4日目の朝が来て、名残を残したままふたりは別れる。翌年産まれた子供は、父親のもとに引き取られていった。……それから7年。エリザベスは家庭教師としてイギリスに渡り、成長した我が子と再会する。

 物語はいかにも古風だし、主人公のおかれた立場もあまりにも理不尽。しかしこの映画の製作者たちは、そうした理不尽なしがらみの中に主人公を置くことで、秘めた想いがフツフツと煮えたぎる様子を描きたかったのです。現代人なら簡単に口に出して言えることも、19世紀の社会制度やモラルのもとでは、不可能なことがあまりにも多い。主人公エリザベスほど聡明で強い女性が現代に生きていれば、もっと楽に幸福がつかめたでしょう。でも時代は19世紀。女性の職業は家庭教師しかなく、結婚すれば夫にすべての財産を奪われてしまう時代です。

 人間は自分の幸福のために、とてつもない罪を犯すことがある。他人が不幸になることで、自分が幸福になるとしたら、その不幸は密の味がするものです。チャールズの妻は乗馬中の事故で植物人間になっていますが、彼女の妹はそれから10年も姉と義兄の身の回りを世話している。彼女にとって、姉の死は自分が幸福になるチャンスなのです。心のどこかで、姉の死を願っていた。それが人間の業というものです。脚本の中には、こうした人間の心の闇がしっかりと描かれている。でも完成した映画では、そうした人間の暗い感情にスポットをあてず、甘美な恋の喜びに物語をスライドさせてしまう。

 これは脚本家が自作を監督した際、しばしば起こる失敗です。自分で脚本も書いたニコルソン監督は、脚本で十分に描ききった部分は、あえて演出で強調する必要はないと感じたのでしょう。あるいは、脚本を書いている時点で既に、「この部分はしつこく書きすぎた」と思っていたのかもしれない。でもこうした心の明暗そのものが、この映画本来のクライマックスではないのか。人間は他人の犠牲や不幸を踏みつけにして、自分の幸福を手に入れる。そんな人間の姿をたっぷりと描き込んでいれば、この映画は間違いなく傑作になったでしょう。

 せっかく脚本で陰影のある人物を作りだしたのに、映画は人物の明るい部分にばかり光を当てようとしている。残酷なことかもしれませんが、闇をもっと暗く描いていれば、人物の明るい面ももっと輝いて見えたことでしょう。悪い映画ではありませんが、パンチ不足でした。

(原題:FIRELIGHT)


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