MARCO
母をたずねて三千里

1999/02/12 松竹試写室
懐かしの名作テレビ・アニメを劇場用映画としてリメイク。
同趣向の『フランダースの犬』よりはマシ。by K. Hattori


 一昨年の『フランダースの犬』に続き、昭和51年に放送された「世界名作劇場」が映画化された。松竹はこんな調子で、この人気シリーズを次々映画化していくのだろうか。なんという企画力の貧困さ。オリジナルで『ブラック・ジャック』や『エルマーの冒険』をやるより、テレビを見ていた親たちの郷愁を当て込んだ方が確実なのでしょう。しかしそれならなぜ、主題歌をテレビと同じにしないのかが僕には疑問。今回もオリジナル版の主題歌を捨てて、シーナ・イーストンに新しい主題歌を歌わせています。現役でこのテレビを見ていた世代にとっては、劇中でBGMとして使われるメロディーに、かつての主題歌が使われているのが救いです。

 僕は『フランダースの犬』のできにすっかり白けてしまったので、今回の『MARCO・母をたずねて三千里』にもまったく期待していなかった。でも、今回の方が前回よりはかなりマシです。オープニングが成長したマルコの姿から始まったときは、「これじゃ『フランダースの犬』を成長したアロアの回想談にしたのと同じじゃないか!」とあきれ返りましたし、最後が成長したマルコの姿で閉じられない中途半端さにも困りました。大人になったマルコと回想談のパートが、まったく意味もなく切り替えられるので、成長したマルコを登場させた意味がそもそもわからない。原作を大胆に脚色したテレビ・シリーズを下敷きにしているため、ペッピーノ一座やフィオリーナのエピソードがどうしたって中途半端になってしまう。こうした欠点は、映画の前半に集中しています。でも後半になってからは、かなりいい。マルコが紹介状を手に訪れた金持ちの家を、「乞食をやるならイタリアでやれ」と追い出されたあたりから、物語はぐんぐんテンポがよくなる。町の酒場で知り合いの老人に出会い、「この少年を、母親のもとへ送ってやろうじゃないか!」と男たちが帽子を回し始めたあたりで、思いがけず涙がこぼれてしまいました。

 もちろん、不満がないわけじゃない。この映画はもっともっと感動的に作れるはずなのに、音楽の使い方がまるで下手くそで、要所要所でツボをはずしています。船が嵐に巻き込まれたとき、乗船客たちが力強く歌い始める場面は、静かに始まった歌声が徐々に高まり、大オーケストラも加わって荘厳なマーチに発展していかなければならない。歌声で船の中の人たちが一丸となり、逆巻く波を乗り切っていくのです。また同じ歌が酒場で歌われるときも、湿っぽくセンチメンタルなアレンジではなく、力強いマーチに発展してマルコを送り出すべきだと思う。この歌の場面は、映画の中でもクライマックスだと思うだけに、扱いが中途半端なのは残念です。

 映画の前半は話を追うのに精一杯で、物語はマルコが立ち寄る土地を「点」として描くにとどまっている。これを観ていても、一向に「旅」という気がしません。このあたりの時間省略に、本当は回想シーンの効果を使うべきなんでしょうが、この映画はそれができていません。


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