メイド・イン・ホンコン

1999/01/27 徳間ホール
香港の貧しい若者たちを描いたインディーズ映画。
出演者が全員素人とは驚きだ。by K. Hattori


 香港の中国返還直前に製作された、インデペンデントの青春映画。貧しくて学校に行けず、かといって就職するわけでもなくただブラブラしているチャウは、知的障害のある青年ロンを子分のように連れ回して、ヤクザの下働きのようなことをして小遣い銭を稼いでいる。他人が見れば、彼は立派なチンピラであり、ヤクザ組織の末端構成員なのだが、本人は自分が正式な構成員ではないことを「自由な一匹狼」と称している。ある日ロンは、目の前で少女が飛び降り自殺する現場に出くわし、死体の側にあった2通の遺書を持ち帰ってくる。同じ頃、チャウは借金取り立てに行った家で、やせっぽちで気の強そうなひとりの少女に出会う。彼女の名はペンという。

 明らかに低予算の映画なのに、映画が安っぽく見えないのは、まず脚本がよくできているからです。登場人物ひとりひとりのキャラクターがよく描き分けられているし、さまざまなエピソードが無理なく押し込められているのもいい。この映画には、若者の行き場のない怒り、愛とセックス、暴力と死、母と子の確執、父親の不在といった普遍的なテーマに加え、香港ヤクザ社会の実態や、香港人の中国に対する微妙な気持ちなどが描かれている。香港の貧しい階層の若者たちを描いているのもユニークで、雰囲気はマチュー・カソヴィッツの出世作『憎しみ』を思い出させます。自殺した少女の幽霊(?)が、夜な夜な主人公の夢枕に立つというのが面白いし、そのたびに主人公が夢精してしまうのも象徴的だ。この映画では、すべてが「死」と密接に結びついている。

 主人公チャウは、仲間のロンやペン、死んだサンとすら精神的に強く結びつきながら、彼らの個人的な情報には接しようとしない。チャウはロンの本名や家庭環境を知らない。ペンの家がなぜ借金まみれなのか知ろうとはしないし、彼女の友人関係にも無頓着だ。サンの自殺の理由を知らず、彼女の両親に連絡を取ることもない。互いの私生活に、決してコミットしない人間関係は、少し前までなら淡泊で底の浅いものだと決めつけられたことでしょう。しかしこの映画の主人公たちが精神的にきわめて強い依存関係にあることは、映画を観ればすぐにわかる。世間の大人たちが言う「友情」とはまったく別の部分で、彼らは強く結びついている。こうした今風の友情のあり方は、日本のインディーズ映画『シンク』にも通じるものだと思う。僕はわりと身近に感じました。

 この映画は、監督のフルーツ・チャンが助監督時代にかき集めた半端フィルムを使って作られた、ごくごく低予算の作品です。登場する役者たちは、ほとんどがまったくの素人。何かに追われるように「生き急ぐ」若者たちを描いたこの作品は、香港返還を何かの“タイム・リミット”と感じながら映画を作った監督の心情が強く反映されている。映画の最後に中国本土の放送がかぶさるのが、それを象徴的に表していると思う。香港返還は映画のどこにも直接的には描かれませんが、この映画は香港返還抜きには考えられないのです。

(原題:MADE IN HONG KONG/香港製造)


ホームページ
ホームページへ