ビザと美徳

1999/01/26 シネ・ヴィヴァン・六本木
第二次大戦中に多くのユダヤ人を救った外交官・杉原千畝。
彼のリトアニア最後の日々を描く短編映画。by K. Hattori


 第二次大戦中のリトアニアで、亡命するユダヤ人難民たちのためにビザを発行し、総勢6000人もの命を救った「日本のオスカー・シンドラー」、リトアニア領事・杉原千畝の実話を題材にした26分の短編映画。監督・脚本・主演は、日系アメリカ人のクリス・タシマ。昨年のアカデミー賞で、見事短編実写賞を受賞した作品だ。もともとはティム・トヤマという日系アメリカ人の書いた1幕ものの戯曲だったそうで、映画化にあたってはタシマやトヤマ以外にも、多くの日系アメリカ人が手弁当で参加している。日本では第12回福岡アジア映画祭で上映されているが、この作品が映画祭実行委員会の配給で、東京の劇場でも一般公開されることになったのは喜ばしいことだ。配給元ではプロダクションと契約して、字幕入りの35ミリと16ミリのプリントを用意したという。自主上映したいという方は、福岡アジア映画祭実行委員会まで問い合わせてみてほしい。(電話:092-733-0949/FAX:092-733-0948/担当:前田、今村/e-mail:faff@gol.com)

 当時ドイツと同盟関係にあった日本政府の妨害にもひるむことなく、短い時間で大量のビザを発行し、多くのユダヤ人をヨーロッパから脱出させた杉原千畝の功績は、つい最近まで日本でもほとんど知られていなかった。彼はわずか1ヶ月で1600通のビザを発行し、家族も含めて6000人のユダヤ人を、シベリア経由で日本に脱出させた。リトアニアを逃れたユダヤ人たちは、そこから他の安全な国に亡命していったという。最近になって、「日本政府が杉原のビザ発行を妨害したわけではない」という資料がみつかったようだが、それは「妨害はしなかったが、応援も援助もしなかった」というだけの話。安全国への脱出を求めてユダヤ人難民が群がったのは、何も日本の領事館に限らなかったはずだが、その中であえて火中の栗を拾うようにビザを積極的に発行し続けたのは、杉原のいた日本領事館だけだったのだ。定説に反して日本政府が杉原の行為を黙認していたにせよ、不眠不休でビザを書き続け、領事館が引き払われてからはホテルで、ホテルを引き払ってからは駅のホームでもビザを書き続けた杉原の行為は特筆に値する。

 映画は今までの「定説」通り、杉原が日本政府のビザ発行妨害にあって左遷されることになっているが、むしろこの映画で強調されているのは、彼の人間としての「弱さ」の部分だ。3人の子供を持つ杉原は、家族の安全や自分自身の役所内での立場などを考え、一度はビザ発行を中止しようと考える。その杉原が、いかにして「日本のオスカー・シンドラー」になり得たのか。この映画はそんな杉原の心の揺れを、妻との会話や、若いユダヤ人夫婦との交流に凝縮して描き出している。杉原は特別な人間ではない。我々と同じ、ごく普通の弱い人間なのだ。だが信念と使命を見いだした人間は、誰よりも強くなれる。こうした人間成長のドラマは、そのまま『シンドラーのリスト』にもつながるものだろう。

(原題:VISAS AND VIRTUE)


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