パッチ・アダムス
トゥルー・ストーリー

1999/01/11 UIP試写室
患者の治療に「笑い」を持ち込んだ医師パッチ・アダムスの実話。
主演のロビン・ウィリアムスが重すぎる。by K. Hattori


 ロビン・ウィリアムスが型破りな医学生を演じる、実話をもとにしたヒューマン・ドラマ。主人公パッチ・アダムスことハンター・アダムスは、「医者は患者と一定の距離を置いて、常に客観的な立場で診察と治療に専念すべし」という医学界の常識に異を唱え、医者と患者が共に病気と闘い、共に笑うことで、患者の生きることの価値(クオリティ・オブ・ライフ)を高めると信じている。彼がこうした信念を持ったのは、かつて彼自身が自殺癖から精神病院に入院し、そこで患者たちと交流を持ったのがきっかけ。病院の中で患者たちは手厚い看護を受けているが、そこにまったく欠けているのは「笑い」なのだ。同部屋の患者を笑わせることで、彼の妄想を追い払うことに成功したアダムスは、「これこそ僕の生きる道だ」と一念発起。猛勉強して医大に進学する。

 実際のパッチ・アダムスが何歳で医大に進学したのかは知りませんが、四捨五入すれば50歳になるロビン・ウィリアムスが、理想をふりかざす医大生を演ずるのは、やはり少し無理があるような気がする。相部屋の学生が「君の年で今から医学を学ぶのかい?」といぶかるシーンがあるので、彼が学生としては年を食っていることは説明されています。でも、アダムスが大学の女子医学生を口説くシーンが出てきたりすると、やはりこの役は、せめて30代の俳優が演じないと嘘臭くなってしまう。

 さらに言えば、ロビン・ウィリアムスには「中年の姿をした子供」というイメージが強い。『フック』で演じたピーター・パン、『ジャック』で演じた中年姿の小学生、『トイズ』では童心を失わないオモチャ会社の重役、さらに、『ミセス・ダウト』ではいつまでも子供っぽさが抜けない生活無能男を演じている。そんな彼が、勉強をまるでしないのに成績が常にトップという頭脳明晰な医学生を演じても、まったく似合わないのです。年齢とキャラクターの面で、ロビン・ウィリアムスはミスキャストだったんじゃないでしょうか。

 監督と製作総指揮は、『ナッティ・プロフェッサー/クランプ教授の場合』『ライアーライアー』のトム・シャドヤック。脚本と共同製作は、『ジム・キャリーのエースにおまかせ!』『ナッシング・トゥ・ルース』の監督・脚本を担当したスティーブ・オーデカーク。コメディ出身のふたりが作った作品にしては、今回の映画は笑いにキレがない。このストーリーにしては、やはりロビン・ウィリアムスの存在感が「重い」のです。例えばこれで主演が『ナッシング・トゥ・ルース』のティム・ロビンスあたりだと、だいぶ映画の雰囲気が変わったと思うんですが……。これはない物ねだりですね。

 物語の中では、主人公パッチ・アダムスと女友達カリンのロマンスが重要な位置を占めていると思うのですが、アダムスと学部長の葛藤が巧みに描けていたのに比べると、このロマンスはもたついてテンポが悪い。結果として、理想が現実に打ち負かされ、そこからアダムスが復活するクライマックスに伸びがありませんでした。

(原題:PATCH ADAMS)


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