座頭市果し状

1999/01/05 浅草新劇場
座頭市が絹市場乗っ取りをたくらむ悪党たちをやっつける。
昭和43年製作のシリーズ18作目。by K. Hattori


 『座頭市』シリーズは映画で26本の作品が作られているが、めっぽう面白 い作品と、そうでない作品の落差がかなりある。今回観たシリーズ18作目の 『座頭市果し状』は、正直言ってハズレ組だと思う。敵役のやくざや用心棒に、 市に匹敵する腕の立つ人間がいないのは致命的だ。やくざ同士の抗争に市が巻 き込まれ、最後に敵対する凄腕の用心棒と一騎打ちというのが定番なので、シ リーズの中では時々それと違った趣向を用意しなければならないのはわかるの だが、脚本にはもう少しヒネリが必要だったと思う。この映画では、敵の用心 棒をしている浪人が、世話になった医者の放蕩息子だという設定だが、その因 縁を市が知らないから「恩人の息子を斬るか否か」という葛藤がドラマに持ち 込まれていない。この設定は、最後に市を立ち去らせるためにしか機能してい ない。これでは、何だか肩すかしを食った気分だ。

 小さな宿場町で十手を預かるやくざの親分が、地元の産業である絹市場を牛耳るために、もともと市場を切り盛りしていた名主を暗殺しようとする。そのために雇われたやくざたちと市が対立するわけだが、十手持ちのやくざがどれほど悪辣な人間なのかという描写が薄い。借金のカタに若い女をさらって来ては、絹織場で奴隷のようにこき使うという話は出てくるが、具体的に女たちがどれほど非道な目にあっているかが描かれていないし、名主との対立もほんの少ししか出てこない。なぜやくざの親分が、危ない橋を渡ってまで名主暗殺という手段に出なければならなかったのかに疑問が残る。あれこれ妨害や嫌がらせをしたものの、どうにも名主が引き下がろうとしない、まともな方法では手が出せない、まったくラチがあかない。だから強硬手段に出て一気に決着をつけるという段取りが見えてきた方がよかっただろうに。こうした人間関係の緊迫感があってこそ、市の活躍も胸のすく痛快なものに感じられるのではないだろうか。

 市の優しさと厳しさに触れて、悪の道から正道に戻る女を野川由美子が演じているのだが、この人物は、そもそも何のためにこの宿場町にいる必要があるのだろうか。彼女を医者の息子の情婦にするとか、重要な情報を探るスパイにするとか、具体的で明確なポジションを与えておかないと、最後に敵を裏切って味方に付く場面にも重みが感じられなくなってしまう。全体にもう少し脚本を詰めれば、もっと面白くなった話だと思うのですが。

 話が弱くても立ち回りが面白ければそれなりに満足できるのですが、手裏剣や鉄砲などの飛び道具と市の居合い斬りとの対決も、大いに迫力不足。「たまたま急所を外れてました」では、敵の攻撃をどうかわすかというスリルがまったくない。飛び道具が効果を半減する狭い室内や、見通しの利かない暗闇に誘い込むなど、座頭市ならではの戦い方は考えられなかったのだろうか。

 医者と娘、市に父親を助けられた子供など、味方の脇役が十分に動かし切れていないような気もする。長いシリーズだから、こんなこともあるんでしょうね。


ホームページ
ホームページへ