海をみる

1998/12/22 映画美学校試写室
秘められた悪意と殺意に気づかず、無防備さをさらす主婦の運命。
ショック描写のまったくない新鮮な心理スリラー。by K. Hattori


 『サマードレス』と同じ、フランソワ・オゾン監督の作った短編映画。この映画の上映時間は52分。登場人物は『サマードレス』と同じく3人。正確には女性ふたりと赤ん坊ひとり、最後に男性がひとり姿を見せておしまい。青春映画風の『サマードレス』に対し、この『海をみる』はサスペンスたっぷりのスリラー映画。ヒッチコック風に映像テクニックでドキドキさせるわけでも、ハリウッド風のショック演出でビックリさせるわけでもなく、ひたすら人間心理の間隙をついて、ひどく不安で心細い気持ちにさせられてしまう映画です。恐さのタイプとしては、よくできたホラー映画に近いかもしれない。「何かが起こるかもしれない」「それが何かはわからない」「でも必ず何かが起こる!」という確信によって、観客は常にビクビクしていることになる。

 夫が出張中でなかなか連絡が付かず、小さな赤ん坊を抱えたまま家でイライラしているサーシャ。彼女は通りかかったバックパッカーに、庭先にテントを張らせてほしいと頼まれ、渋々許可する。口先では渋々だったが、この予期せぬ訪問者タチアナによって、彼女は自分の孤独が癒されるのが嬉しいのだ。やがてサーシャはタチアナを食事に誘い、家に招き、シャワーを使わせるようになる。赤ん坊をタチアナに預けて、ひとりで町に出かけるようにもなる。ふたりの女の距離はどんどん近づき、旧知の友人同士のような間柄になる。数日後にサーシャの夫が帰宅したとき、家の中には誰もいなかった……。

 家に閉じ込められたサーシャの孤独が、通りすがりのタチアナによって癒される。だがそれは、サーシャが自分自身の孤独を再確認することでもある。彼女の欲求不満がどんどん大きくなる恐さ。この映画を観ている観客は、タチアナがサーシャの住まいを狙って訪ねてきたことを知っている。タチアナがサーシャに、底知れない憎しみと殺意を持っていることを知っている。だがその理由は、最後の最後まで明らかにされない。理由のない憎悪がいつ爆発するか。観客は固唾をのんで物語の推移を見守る。タチアナの用心深い悪意に対して、サーシャの無邪気な善意が仇となる。サーシャはタチアナが自分に悪意を持っているなど、夢にも考えていない。だが、タチアナはサーシャの孤独を知っている。彼女の欲求不満を知っている。タチアナは、その心の隙間に忍び寄る。

 この映画の恐怖は、薄い氷の張った池の上で、子供たちが遊んでいるのを見つけた恐怖と同質の物です。子供たちは、自分が非常に危険な立場にいることを知らない。それどころか遊びに夢中になって、氷の上で飛んだり跳ねたりしている。いつか氷が割れれば、子供たちの命はない。だがそれがいつ、どのように訪れるかは誰にもわからない……。氷上の子供であるサーシャは、自分の立っている足のすぐ下に、死が待ちかまえているなど考えもしない。映画を観る側は、氷の薄さに気づきつつも、それがいつ割れるのかは予想できない。これは本当にスリル満点の映画です。感心してしまいました。

(原題:Regarde la mer)


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