愛人ジュリエット

1998/09/09 メディアボックス試写室
監獄の中で恋人の夢を見るジェラール・フィリップ。
1950年製作のマルセル・カルネ監督作。by K. Hattori


 『天井桟敷の人々』のマルセル・カルネ監督が、主演にジェラール・フィリップを迎えて1950年に撮ったファンタジー映画。恋人とのデート資金を勤め先から盗んで監獄に入れられた主人公ミシェルは、牢の中で恋人ジュリエットの夢を見る。だがその夢から覚めたとき、ミシェルを待ちうけていたのは残酷な現実だった。この映画のすごいところは、映画の冒頭で映画のテーマについてテロップですべて明らかにしてしまうこと。じつに親切な映画です。こうしないと、観客にとって難解な映画になると思ったのでしょう。でも、あらかじめネタが割れていても、この映画の面白さは損なわれていない。そこがまた、この映画のすごいところです。

 単純に言いきってしまえば、これはひとりの青年が失恋の物語です。恋人と別れた男が、夢の中で恋人に再会したいと望む。観客は、ミシェルが奇妙な村でジュリエットに再会する部分が彼の見た夢であることを知っているし、ミシェル自身も、それが幻に過ぎないことをわかっているのです。でも、夢でも構わない。たとえ夢だとしても、恋人と再会した甘美な一時に全身全霊を傾けるのが恋というものでしょう。目の肥えた現代の観客の目から観れば、この映画の構成は素朴すぎて陳腐です。でも、恋人を失った苦しみや悲しみは、現代にも十分に通じる。この映画が作られて半世紀近くたった今、観客に感銘を与えるのだとしたら、それはここで描かれている恋心に嘘がないからだと思います。

 夢の中に出てくる「忘却の村」というアイデアが泣かせます。恋人を失った青年にとって、一番辛いのは、自分が相手に忘れ去られてしまうことでしょう。ジュリエットと再会したミシェルは、彼女が自分と過ごした楽しい時間を思い出してくれるように願う。彼女は一瞬彼のことを思い出すものの、次の瞬間にはまた彼を忘れてしまうのです。ここで感動的なのは、彼女がミシェルを忘れてしまっても、彼女の心の中には彼と過ごした時の温かい心のカケラが埋まっているということです。相手が誰だかわからなくても、相手が自分にとって特別な関わりのあった人だということだけはわかる。それがミシェルにとって唯一の希望になります。

 シュールリアリズム絵画を思わせる忘却の村の描写に対し、現実の世界はベタベタのリアリズムで描かれています。ラストシーンで、自分を裏切ったジュリエットの部屋に忍び込んだミシェルが、彼女の制止も聞かずに夜道をずっと歩いて行くシーンがじつにいい。彼の絶望感や孤独、それでもまだジュリエットへの愛を断ち切れない気持が痛いほど伝わってくる。人影のない夜の道を、石畳に長い影を落としながら歩き続けるミシェル。背後に自分を追うジュリエットの気配を感じ、彼女を愛し続けている自分の気持がわかっていても、彼は現実のジュリエットを決して振り向かない……。ジェラール・フィリップがいいのは当然ですが、ジュリエット役のジュザンヌ・クルーティエが庶民的な娘を好演しています。

(原題:Juliette ou la Clef des Songes)


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