ドレス

1998/07/13 メディアボックス試写室
1着のドレスの流転を通して描かれる、様々な人生の断片。
平凡な日常のすぐ下にある危険な瞬間。by K. Hattori


 1枚のドレスが次々と人手に渡って行く様子を通して、様々な社会階層の人々が織り成す人間のドラマを描いたオランダ映画。この映画のアイデアの原形は、1着の燕尾服が人から人へ渡る『運命の饗宴』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)でしょう。僕は『運命の饗宴』を観ていないので、どこがどう似ているんだかじつはよくわからないんですが……。『ドレス』はテキスタイルデザイナーが服地の柄を考案するところから物語が始まり、服のデザインと縫製を経て、お店のショーウィンドウに並び、ある老婦人が服を購入するところから、いよいよ本格的にドレスの流転が始まります。

 このドレスに関わった人は、残らず不幸な目に遭いますが、それはこのドレスが持つ魔性の力のせいなのでしょうか? ここがどうもよくわからない。ドレスが出来る前から、服飾メーカーの重役は奥さんに逃げられ、テキスタイルデザイナーは恋人に逃げられ、デザイナーの恋人はブタとの3Pセックスを強要されそうになる。ストーカー行為を繰り返す車掌も、ドレスの女を見る前から、同じような行為をしていた形跡がある。ということは、このドレスに特別な意味はないのかもしれない。このドレスは、複数の人生を映画が串刺しにするために、カメラの視点を提供するものなのでしょうか。そう割り切ってしまうには、謎めいたドレスなんですが……。

 この中途半端さが、この映画のぼんやりしたイメージを作ってしまう。『運命の饗宴』の時代、洋服は1着ずつ手作りだったから、そのたった1着の服を通して複数の人生を垣間見るというアイデアも成立し得たのだと思う。でもこの映画のドレスは既製品で、世の中にはまったく同じものが何十着も何百着も存在するのです。同じように複数の人生をドレスを通して描くにしても、この映画のように1着のドレスの流転にこだわるのではなく、最初から複数のドレスによる複数の物語を作ることだって可能なのです。ただしそうすると、この映画のように複数の社会階層や年齢差を描くことは難しくなる。この映画では、最初にドレスを買った上品な老婦人から、高級住宅地で働くメイドの手に渡り、そこから古着屋経由で十代の娘の持ち物になり、最後はホームレスの女性が着る服になる。こうした社会階層の縦断は、やはり1着のドレスを通して描いた方が面白いのかもしれない。

 配給会社のアスミック・エースは、この映画に「ピーピング・シネマ」というコピーをくっつけた。確かに、ここで描かれているのは、表向きの日常から隠されたプライベートな部分。隠された変態性が、ふと表面に浮かび上がってくる瞬間です。「俺はノーマルだ!」と叫ぶ車掌に象徴されるように、この映画の登場人物たちは、皆自分がまともで普通の生き方をしていると思っている。でもそれを一皮むけば、裏側には危険な非日常性が広がっている。この映画はそれをユーモアたっぷりに描き、観客を時に哄笑させ、時に苦笑いさせながら、平凡な日常に潜む危険な瞬間を切り取って行くのです。

(原題:de JURK)


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