'hood
フッド

1998/07/10 ユニジャパン試写室
夜の街に集うストリート・ダンサーの姿を描いた青春ドラマ。
ダンスシーンは迫力満点、物語は赤点。by K. Hattori



 う〜む。ちょっと消化不良の映画だったぞ。この映画にはエピソードに大きくふたつの流れが混在している。まずは、主人公ミチオと、彼の遊び仲間であるヨシユキの無軌道な暴走ぶりと、やがて訪れる友情の破綻。そして、ミチオがダンサーを目指す少女チヒロに出会い、彼女をモノにしようと必死にダンスの稽古に励み、やがて同じチームで踊りはじめるというスポ根風のエピソードだ。映画ではこれに、チヒロのボーイフレンドである自警団のリーダーや、ダンスチームの他のメンバーとのエピソードをからめてゆく。こうして書いてしまうとスッキリまとまってしまうのに、なぜこの映画の脚本がこんなにゴタゴタした印象になるのだろう。

 この映画の中の若者の描写には、得体の知れないテレがあって、それが物語の進行を蛇行させている。例えば、ミチオがダンスを熱心に練習しながらも「どうせ遊び。プロになる気はないし、楽しく行こうよ」と茶にしてしまうところや、ミチオがチヒロを口説きながらも、もうひとつ彼女に熱心なそぶりを見せない点などだ。これは、「今の若者は妙に覚めていて、最後まで熱心に何かをやり通すことを避けようとしている」という、作り手側の思い込みから生まれたものだと思う。でもこんなの嘘だ。

 短期間で素人同然からプロ並みのダンサーになるには、それこそ血のにじむような努力が必要で、「遊びだから、楽しくやろうよ」という浮ついた気持ちでは不可能でしょう。はじめは下心があって始めたダンスかもしれないけど、練習していればそれまで動かなかった身体が動くようになり、踏めなかったステップが楽に踏めるようになる。こうしてみるみるうちに自分の肉体が変化して行くプロセスを実感できることに、ミチオは驚きや喜びを感じないのだろうか? そこに喜びなくして、なぜ苦しい練習に耐えられるのだろう。女を口説きたいとか、冷笑された屈辱に対する意地とか、そんなものだけで、長く苦しい訓練に耐えられるものではないよ。

 この映画の見どころは、やはりダンスシーン。オーディションで選ばれたというダンサーたちの躍動感あふれる踊りには、見るものを興奮させる迫力がある。ミチオ役の柏原収史や、チヒロ役の松田千春のダンスは半分以上が吹き替えだと思うけど、逆光を使ったりロングショットにしたり、うまくごまかしてます。この映画は特別面白い映画ではないけれど、ダンスシーンの迫力だけは本物。僕はヒップホップ系のダンスにまったく興味がありませんが、ダンサーたちの発する熱気は、そんな僕のところまでビシビシ伝わってきます。

 監督・脚本は『恋と花火と観覧車』の砂本量。それにしちゃトホホな映画だけど、企画・製作総指揮・原案がヒロ・中村になっているから、責任の大半はこの人にあるのかもしれない。我慢できないのは、序盤から中盤にかけての「無軌道な若者像」の無茶苦茶さ。僕はこの部分で、映画を半ば投げ出してしまった。これじゃ野に放たれた狂犬だっての。最後のオチもくだらないよ。



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