暁の脱走

1998/07/09 国立近代美術館フィルムセンター
上官にひたすら従順な兵士と、慰問歌手との禁じられた恋の行方。
昭和25年に製作された反戦映画の傑作。by K. Hattori


 昭和25年に新東宝で作られた反戦映画。これは当時、最初から反戦映画として企画され、紆余曲折を経て完成された力作です。監督は『銀嶺の果て』の谷口千吉。主演は池部良と山口淑子。田村泰次郎の「春婦伝」を谷口千吉と黒澤明が脚色したものだが、原作ではヒロイン春美が慰安婦になっていたものを、映画では戦場慰問の歌手に変えている。これは最初の脚本ではちゃんと慰安婦だったのですが、脚本が占領軍の検閲官に渡った時点で、真っ先に変更されてしまったもの。当時の大スター山口淑子が慰安婦役を嫌がったとか、戦場に慰安婦がいた事実を隠そうとしたとか、そういう類のものではない。反戦映画という大義名分があったとしても、当時の大衆娯楽作品として、主人公のひとりが「慰安婦」では内容が扇情的すぎると判断されたのです。(この辺りの経緯については、平野共余子の「天皇と接吻」に詳しい。)

 この変更によって、軍隊の中で最低の扱いを受けている一兵士と、やはり戦場で最低の扱いを受けている慰安婦の、打算なき純愛というテーマはボケてしまっている。兵士である三上がその生真面目さゆえに、軍隊の中でいかに理不尽な目に遭わされるかという点は描けていても、ヒロイン春美の境遇がもうひとつ見えてこないのです。ただ、これを原作通り慰安婦にしてしまうと、人間の性というドロドロしたものを正面から描かなければならず、この映画が持っている透明感の幾分かは損なわれることになると思う。映画にセックスを持ち込むと、反戦というテーマがどこかに吹っ飛んで、人間の性が持つ醜さばかりが映画の中心になってしまいかねない。

 最近の日本では従軍慰安婦を教科書に載せる載せないで大騒ぎしていますが、この映画を観ると、少なくとも昭和25年当時の観客にとって、戦場に慰安婦がいたという事実は常識だったことがわかります。戦場の小さな村で、「これだけ人がいて、慰安所がないとは非常識だ」という台詞があるし、兵士たちに酌をしろと言われた慰問歌手たちが「私たちは慰安婦じゃないのに」と文句を言う場面がある。つまり当時の観客には、これで「慰安婦」や「慰安所」の何たるかがわかったのです。なお、田村泰次郎の原作では慰安婦の国籍が朝鮮になっているそうですし、脚本の初期段階では、慰安婦が最初は赤十字の看護婦という名目で戦場に連れてこられたのだと説明するシーンがあったそうです。

 春美のエピソードを少し割り引いて観ると、この映画はよくできてます。ただし、主人公たちが中国軍に捕らえられてからの部分に、少し牧歌的すぎる部分があるような気がする。かつて中国映画のトップスターだった李香蘭こと山口淑子の中国語はさすがに流暢ですが、ここは中国人たちと言葉が通じない方がいいよ。その方が、三上と春美が異郷でふたりきりという感じがよく出ると思う。彼女が中国語を流暢にしゃべり、中国人たちと談笑していると、三上の疎外感が目立って、「日本人たちのもとに帰りたい」という感じになっちゃうもんね。


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