新機動戦記ガンダムW(ウィング)
Endless Waltz 特別篇

1998/06/15 松竹第1試写室
「新機動戦記ガンダム」の完結編OAVを再編集して映画化。
テレビを見てないとチンプンカンプンです。by K. Hattori


 1995年から1年間テレビ放送されていた「新機動戦記ガンダムW(ウィング)」の続編として発売されたOVAを再編集し、新作カットを加えた劇場版。僕はテレビ版もOVA版も観ていないので、物語の背景も登場人物の設定もチンプンカンプンでした。そんなわけで、物語自体についての評価はパスします。作品としての評価は、テレビシリーズも含めた中で出すべきでしょう。

 ただ、気になった点がいくつかあった。まず第1は、物語のベースになっている血統主義の肯定。この作品には、大戦中に世界国家群の指揮を執ったトレーズの娘、マリーメイアが登場し、彼女のカリスマ性がクーデターに利用される。マリーメイアと対決するリリーナも高貴な血を引く女性で、彼女の呼びかけに応えた民衆の蜂起でクーデター騒ぎは解決します。要するに、ふたりのカリスマの中に流れる「血」同士が対決するわけです。最終的にはリリーナの側が勝利するわけですが、この際、マリーメイアが偽者だったことが暴露される。つまりこれは、血統書つきの名馬が、血統を偽った駄馬に勝利する物語になっている。優良血統こそ勝利を生むのだと言う血統至上主義は、ナチスと変わらないと思うけど……。

 第2の疑問点は、非暴力主義の全面肯定。クーデターに勝利したのは武力の勝利ではなく、人民の非武装蜂起だったという、旧社会党が聞いたら泣いて喜びそうな展開にはうんざりしました。人類史上、この手の非暴力主義が勝利した例はありません。プラハの春も、天安門の学生集会も、迫って来る戦車の前には無力でした。「ガンジーやキング牧師はどうだ」と言われそうですが、インド独立運動やアメリカの公民権運動は、非協力不服従という息の長い運動の成果であり、大衆が徒手空拳で武力に立ち向かって勝利したわけではないのです。また、これらの非暴力運動の影では、武力闘争を行う別組織が活動していたことも忘れてはなりません。政治家は武装集団に屈服するより、穏健な対話を求める側と政治的妥協をするものです。

 第3の疑問点は、武器を破棄すれば平和が保たれると言う、短絡的な発想への違和感です。実際に使うか使わないかは別として、平和維持のために武力は絶対に必要だというのが常識でしょう。国家が暴力を独占することで、国内の治安を守り、外部からの敵に備えるのが、近代国家の原則です。この映画の中では、主人公たちが最後にガンダムを自爆させてしまうのですが、こうして自衛や抵抗のための武器さえ捨ててしまった後、もし反体制的なテロリストが現れたら、平和はどのようにして守るのか。彼らはそうした不安を感じないのでしょうか?

 こうした疑問には、ひょっとしたらテレビシリーズが答えてくれるのかもしれませんが、今回の映画ではよくわかりませんでした。僕にはこの映画の描いていることが荒唐無稽な絵空事であり、現実の人間を知らない空虚な理想主義、ある種の宗教的確信のようにしか見えないのです。最後まで、どうしても納得できませんでした。


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