機動戦士ガンダム・第08MS小隊
ミラーズ・リポート

1998/06/15 松竹第1試写室
「機動戦士ガンダム」の番外シリーズとも言うべきOVAの映画版。
軍隊描写がオリジナル版より退化している。by K. Hattori


 僕はテレビ版「機動戦士ガンダム」を、ほぼリアルタイムで見て熱中していた世代です。映画版の公開時には、劇場の前に徹夜で並んで声優の舞台挨拶を見たりしたものです。でも僕の「ガンダム体験」はそこまでで、続編の「機動戦士Zガンダム」以降はまったく見てません。今回久しぶりに新作のガンダム映画を観て、懐かしいと思う反面、納得できない点も多かった。特にこの『第08MS小隊』は、テレビ版1作目と同じ時代背景になっているだけに違和感が大きい。違和感と言うより、これは「失望」です。ガンダムがそれまでのロボット・アニメの約束事を打ち壊し、切り開いてきた輝かしい世界を、この作品はまるっきり無駄にしようとしている。作品のテーマや切り口が、なんと退化しているのです。

 この映画の主人公シローは、連邦軍の士官としてMS小隊を率いています。彼はジオン軍の女性パイロット、アイナと知り合うことで、戦争で敵を殺すことに対して疑問を持ちます。軍法会議の席上、「敵対する側にも良い人間はいて、わかりあうことができる」と主張するシローに、他の兵士や上級将校たちは思わず苦笑します。この場面では僕も、あまりの主張のくだらなさに笑ってしまいました。なぜなら、シローの主張はあたり前すぎるからです。もし敵とわかりあえる点が皆無であれば、戦争はもっと手っ取り早くケリがつきます。大量の殺傷兵器(例えば核兵器の類)を投入して、敵をせん滅してしまえばいいからです。でも実際の戦争では、「戦後処理」という政治的配慮からそれを避ける。どんなに苛烈な戦闘を行ったとしても、その裏側では常に相手との妥協点を探り、わかりあう努力を続けているのが戦争です。

 そんな基本的なことすら理解できないシローは、上官の命令なしに勝手に出撃したり、戦闘で相手を殺さないことを決意したりしますが、それがどれほど危険なことなのかわかっていません。軍隊というのは、各部署が有機的に結びついた大組織です。兵士たちが勝手に自分たちの判断で作戦行動を取り始めたら、軍隊組織は瞬時に崩壊してしまうでしょう。シローは自分を何様だと思っているのでしょうか。どんな軍隊も、友軍の支援や補給なしに、戦争は行えません。シローの行動は、こうした軍隊の原則を踏みにじるものです。

 そもそも軍隊の中で「僕の戦い方」などが不可能なことは、シリーズ1作目の「機動戦士ガンダム」で描きつくされていたはずです。戦争や軍隊は、個人の思惑や判断を押しつぶし、すべてを戦争遂行目的のために取り込んでしまう。民間人であろうと女子供であろうと、そこにどんな容赦もないのです。(ホワイトベースには、最後まで幼児が乗っていたのがいい例です。)戦争の中で「僕の戦い」など最初から不可能なのに、それが可能であるかのように描く『第08MS小隊』は、最初に「ガンダム」が描いた戦争観を踏みにじり、泥を塗るものでしかありません。僕がこの映画に違和感や失望を感じ、作品としての「退化」だと断言するのは当然なのです。


ホームページ
ホームページへ