ヴィゴ

1998/04/16 シネセゾン試写室
'34年に『アタラント号』を撮ったジャン・ヴィゴ監督の伝記映画。
物語の焦点が絞り切れない薄味映画。by K. Hattori


 1930年代のフランスで、わずかに短編3本と長編1本を作って世を去った映画監督ジャン・ヴィゴと、その妻リデュの愛を描いた伝記映画。ヴィゴの作品は長編『アタラント号』が映画史に残っているが、作品を観る機会は今や滅多にない。一応ビデオが出ているので、それを購入するしかないのかな……。この時代はサイレントからトーキーへの交代期で、この映画の中でも主人公のデビュー作『ニースにて』はサイレント上映されているが、『アタラント号』はトーキー映画です。

 映画の中に、主人公ヴィゴが「映画をどんどん新しくしていかなければ」と決意を語っている場面がある。当時は映画という新しいメディアに、製作者たちが創意工夫を凝らしていた激動期。まさに「映画の青春時代」です。カメラを三脚からはずして手持ちで撮るエピソードが出てくるが、同じような試みは、当時世界中の若い映画製作者たちが行っていた。日本でも時代劇の伊藤大輔監督などが、20年代後半から積極的に移動撮影の工夫を行っている。小型カメラを持ったカメラマンがアクションシーンの中に飛び込んで一緒に走りまわったり、カメラを竹竿の先に取りつけて振り回したり、とにかく人がまだやっていない表現を自分たちで生み出そうという、熱意にあふれた時代だったのだ。『ヴィゴ』の中にも、そんな映画作りのエピソードが散りばめられている。

 この映画自体は、伝記映画と恋愛映画の間で焦点を絞りきれないまま終わった失敗作だと思う。一番の問題は、映画監督が主人公なのに、映画撮影現場の様子や残された作品を、ごくわずかしか映画に取り込んでいない点だろう。夫婦で結核を病み、山奥のサナトリウムで知り合って恋に落ち、電撃的に結婚したヴィゴとリデュ。ヴィゴは「僕にはもう時間がない」と自分に言い聞かせるようにして、映画作りにのめり込んで行く。前記した通り、当時の映画界という場所は、才能ある若者がのめり込んで当然の活気にあふれていた。ところがそうした熱気が、この映画からはほとんど伝わってこないのだ。

 伝記映画でありながら、よき恋愛映画であるという作品は多い。だから『ヴィゴ』も伝記部分と恋愛劇の両立を行うことは可能だったはず。ただしこれには冷徹な対象の分析と、作り手の対象に対する「解釈」が必要になる。この映画で言えば、主人公ヴィゴの人生をどう総括するかという点が問題になる。彼は「映画のために生きた」のか、「リデュとの愛のために生きた」のか、それとも「父親の幻影を乗り越え、母と和解するために生きた」のか……。伝記映画は事実を描けばよいものではない。ある人物の人生に、特定の「意味付け」を行うのが、伝記映画を作る人間に課せられた使命です。この映画の場合、そうした使命感がまったく見えない。

 映画を通して、主人公は何を訴えようとしたのか。それが僕にはさっぱりわからない。映画に対する情熱は描かれているが、それが何によるものか不明なので、ヴィゴの情熱は病的な空回りに見えてしまうのです。

(原題:VIGO Passion for Life)


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